2015年01月15日

大本営の奥の院の所在と正体に触れなかった堀栄三の大本営参謀の情報戦記

 大本営陸軍部の情報参謀を務めた堀栄三(1913~1995)は、諸種の公開情報を収集分析してアメリカ軍の動向を事前に察知し、マッカーサー参謀という異名を取った。しかし堀栄三の情報先知能力(インフォーメーション&インテリジェンス)は戦史研究に活かされなかった。

 陸大試験の再審に向けて勉強していた堀栄三大尉は、父親から「一度土肥原に会って話を聞いてこないか」と勧められ、昭和十五年(1940)晩秋のある日、軍事参議官兼陸軍士官学校長の土肥原賢二中将宅を訪問し、戦術の勉強方法について土肥原中将に教えを乞うた。土肥原は堀は次のように教えた。

「いまこの場面で、相手に勝つには何をするのか一番大事かを考えるのが戦術だ。要するに駒と盤が違うだけで世の中の誰もがやっていることだ。

 そのためには枝葉末節にとらわれないで、本質を見ることだ。文字の形や奥の方には本当の哲理のようなものがある、表層の文字や形を覚えないで、その奥にある深層の本質を見ることだ。

 世の中には似たようなものがあるが、みんなどこかが違うのだ。形だけ見ていると、これがみんな同じに見えてしまう。それだけ覚えていたら大丈夫、ものを考える力ができる。」(大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇21ページ)


 これが堀栄三には一生忘れられない言葉になったという。

 土肥原賢二中将は昭和十四年六月号中央公論に「新時代を戦う日本」と題する論文を発表し、朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実らと一緒に「東亜共同体論」を提唱していた。

 三田村武夫は、大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義(1950年初版発行、1987年復刊)の中で、

「この論文は原点のまま要点を抜粋したが、その用語と構想は、蝋山、三木、平、尾崎等とそっくりそのままのところがあり、どこからか借りて来たような文章であるが、当時参謀本部にいた土肥原賢二中将が公然と署名して、中央公論誌上に載せたことは注目すべき価値がある。即ち軍閥とその幕僚の背後に何があったかを物語る有力な証拠ともいえるであろう。読者はこころみに資料編によって他の論文と対照してほしい。」

と読者に要望している。「軍閥とその幕僚の背後に何があったかを物語る有力な証拠」は他にもある。続きを読む
posted by 森羅万象の歴史家 at 21:00| 政治の全般 | 更新情報をチェックする