2016年08月08日

忘れてはいけない明治天皇へのグラント将軍の助言-井上毅の漸進主義

 アメリカ南北戦争で勇名を馳せて北軍総司令官となり、戦後には大統領(第18代)を二期務めたユリシーズ・シンプソン・グラント将軍は、1877年5月から世界漫遊の旅にのぼり、1879年(明治12年)6月、長崎に到着し、我が国の朝野から大歓迎を受けた。同年8月10日、明治天皇は浜離宮の中島の茶屋にグラント将軍を招き、議会・政治・外債・琉球問題・条約改正・教育問題等について将軍の忌憚のない意見を求められた。続きを読む
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小林よしのりが隠蔽する神皇正統記の論理

 小林よしのりは、「さらに田中先生は、決定的な指摘をされた、『親房の議論に“男系”という用語はありません!』」と言う。しかし北畠親房の神皇正統記には「一種姓のなかで」という用語がある。続きを読む
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小林よしのりが「論外の男系カルト」に貶めた歴代天皇

 小林よしのりは「二千年以上の歴史に真面目に向き合うなら、やはり傍系継承は3世が限度、5世は例外中の例外、20世以上なんて論外と考えるしかない!」と喚き散らす。

 小林よしのりの新天皇論によれば、後桃園天皇(第118代、在位1770~1779年)の崩御後、次の皇位継承者として伏見宮貞敬親王(伏見宮第19代。伏見宮18代邦頼親王の王子。幼名は嘉禰宮<かねのみや>)を望まれた後桜町上皇(第117代の女性天皇)は論外の男系カルトであったことになる

 桜町天皇(第115代)の皇女であった後桜町天皇(智子内親王)は、桃園天皇(第116代)の崩御後、中天皇(なかつすめらみこと)に即位し、桃園天皇の皇子の英仁親王(後桃園天皇)に皇位を譲渡した後、上皇になった。

 皇女が天皇となり上皇となったことは小林よしのりのいう支那男系主義では有り得ないことだったから、後桜町上皇が第119代皇位継承者として伏見宮貞敬親王を推したという事実に対して、小林よしのりは「支那男系主義の因習」と罵ることは出来ず、この事実を「女系尊重」と強弁することも出来ない。

 だから小林よしのりはこの事実を無視する。これはテレビ・マスゴミが常用する虚報の詐術(故意に重要な事実を隠蔽し読者や視聴者の思考を操作すること)である。
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