2014年03月08日

鳩頭を砕く閉鎖的な時代の日本の記録-ツュンベリーの江戸参府随行記

 ツンベルク日本紀行(駿南社刊異国叢書昭和三年初版)の訳者である山田珠樹氏は久しく泰西の図書に親しみ、欧州への旅を重ねられた結果、かえって古い日本を知りたいという欲求にかられ、日本の古い本を読まれたがどうしてもしっくりしなかった。それが1775年に来日したスウェーデン人(身分はオランダ使節の医官)ツュンベリーの旅行記を読んで、

 「初めて自分の血のなかに流れている、日本人の姿を掴むことが出来たような気がした。誠にお恥ずかしい話ながら、私はこれを読みながら、死んだ祖父にでもめぐり合ったような気がしてきて、思わず目頭が熱くなったこともある」という。

江戸参府随行記(C・P・ツュンベリー著/高橋文訳/東洋文庫1994年刊行)の目次


第一章 日本への航海 
日本到着 長崎港 長崎港および出島商館 出島商館へ上陸時の検閲 日本の通詞 長崎港 出島 出島、オランダ貿易 出島、中国貿易 出島、長崎港 出島 出島および長崎 出島 出島、時の数え方 

第二章 参府への旅 
長崎 矢上 諫早 嬉野 塩田 佐賀 飯塚 内野 小倉 下関 上関 地の家室 御手洗 兵庫 大坂 淀 伏見 都 大津 草津 関 桑名 岡崎 吉田 新居-舞坂 大井川 島田 富士山 箱根 小田原 戸塚 品川 江戸

第三章 江戸滞在 
江戸

第四章 幕府からの帰途
小田原 三島 日坂 都 大坂 兵庫 小倉

第五章 日本および日本人
日本の地理的状況と気候 日本人の外見 日本人の国民性 日本語 姓名 衣服 家屋の構造 統治 武器 宗教 食物 飲物 喫煙 祭事の娯楽と催し 学問 法律と警察 医師 農業 日本の自然誌 商業

第六章 帰国前の出島滞在
出島

資料
図版

ナチュラリスト、ツュンベリーの長い旅(木村陽二郎)
ケンペル、ツュンベリー、シーボルトの日本研究と阿蘭陀通詞(片桐一男)
訳者あとがき

ツュンベリーの序文

 日本帝国は、多くの点で独特の国であり、風習および制度においては、ヨーロッパや世界のほとんどの国とまったく異なっている。そのため常に脅威の目でみられ、時に賞賛され、また時には非難されてきた。

 地球上の三代部分に居住する民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。しかし、多くの点でヨーロッパ人に遅れをとっていると言わざるを得ない。だが他方では、非常に公正にみてヨーロッパ人のうえをいっているということができよう。

 他の国と同様この国においても、役に立つ制度と害をおよぼす制度、または理にかなった法令と不適正な法令の両者が共存していると言える。しかしなお、その国民性の随所にみられる堅実さ、法の執行や職務の遂行に見られる不変性、有益さを追求しかつ促進しようという国民のたゆまざる熱意、そして100を超すその他の事柄に関し、我々は驚嘆せざるを得ない。

 このように、あまねくかつ深く祖国を、お上を、そして互いを愛しているこんなにも多数の国民がいるということ、自国民は誰一人国外へ出ることができず、外国人は誰一人許可なしには入国できず、あたかも密閉されたような国であること、法律は何千年も改正されたことがなく、法の執行は力に訴えることなく、かつその人物の身上に関係なく行われるということ、政府は独裁的でもなく、また情実に傾かないこと、君主も臣民も等しく独特の民族衣装をまとっていること、他国の様式がとりいれられることはなく、国内に新しいものが創り出されることもないこと、何世紀ものあいだ外国から戦争をしかけられたことはなく、かつ国内の不穏は永久に防がれていること、種々の宗教宗派が平和的に共存していること、飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、等々、これらすべては信じがたいほどであり、多くの人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。

 私は日本国民について、あるがままに記述するようにつとめ、おおげさにその長所をほめたり、ことさらにその欠点をあげつらったりはしなかった。その日その日に、私の見聞したことを書き留めた。さらに彼らの家政、言語、統治、宗教等々、いくつかの事柄は後にまとめて記述することにし、一か所でそれらを論じ、折にふれて断片的に記すことは避けた。

 日本のように変化の少ない国は、世界のどこにも類をみないであろう。この点については、博識なるケンペル博士が日本誌のなかで、適切かつ詳細に書いている。それでもなお、この100年近い間に、私は多少の変化を発見し、いずれにせよ些細な事柄であったが、書き記した。

 そうしたなかで、自然誌は特に私が重視するところなので、この国の鉱物、動物、植物の収集につとめるだけでなく、それらがヨーロッパや私の母国にいくらかでも役立ち利用されるように記した。自らの願望であるこの目的が多少ともかなえらえるならば、うぬぼれなしに、私の喜びはまたとなく大きなものとなろう。


 筆者はこのツュンベリーの旅行記を読み、目頭を熱くしなかったものの、ツュンベリーと一緒に1775年から翌年にかけて江戸時代の日本を旅行しているような気分に浸った。久しぶりに、本に惹き込まれ、本をむさぼり読むという感覚を味わうことができた。

 ツュンベリーの江戸参府随行記には所々に勘違いがあるものの、筆者が読了して痛感したことは、やはり今日の日本の美風、日本人の長所の多くは、封建時代それも江戸時代の遺産であり、かつ今日の日本の諸問題は、その遺産が失われてしまった部分から生じているということである。

 第五章の「日本および日本人」は法学徒および歴史学徒にとって必読箇所である。一部を以下に引用する。

 一般的に言えば、国民性は賢明にして思慮深く、自由であり、従順にして礼儀正しく、好奇心に富み、勤勉で器用、節約家にして酒は飲まず、清潔好き、善良で友情に厚く、率直にして公正、正直にして誠実、疑い深く、迷信深く、高慢であるが寛容であり、悪に容赦なく、勇敢にして不屈である。

 日本では学問はまだ発達をみていないが、そのわりに国民は、どんな仕事においてもその賢明さと着実さを証明している。日本人を野蛮と称する民族のなかに入れることはできない。いや、むしろ最も礼儀をわきまえた民族といえよう。

 彼らの現在の統治の仕方、外国人との貿易方法、工芸品、あふれるほどにあるあらゆる必需品等々は、この国民の賢さ、着実さ、そして恐れを知らない勇気を如実に物語っている。

 自由は日本人の生命である。それは我儘や放縦へと流れることなく、法律に準拠した自由である。法律はきわめて厳しく、一般の日本人は専制政治下における奴隷そのものであると信じられてきたようである。しかし作男は自分の主人に一年間雇われているだけで奴隷ではない。またもっと厳しい状況にある武士は、自分の上司の命令に服従しなければならないが、一定期間、たいていは何年かを勤めるのであり、従って奴隷ではない。

 日本人はオランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている。身分の高低を問わず、法律によって自由と権利は守られており、しかもその法律の異常なまでの厳しさとその正しい履行は、各人を自分にふさわしい領域に留めている。

 この広範なる全インドで、この国ほど外国人に関して自国の自由を守っている国はないし、他国からの侵害、詐欺、圧迫、暴力のない国もない。この点に関し、日本人が講じた措置は、地球上にその例を見ない。

 この国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族の群を抜いている。彼らの銅や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである。農夫が自分の土地にかける熱心さと、そのすぐれた耕作に費やす労苦は、信じがたいほど大きい(日本人の国民性)。

 法学についても広範囲な研究はなされていない。こんなにも法令集が薄っぺらで、裁判官の数が少ない国はない。法解釈や弁護士といった概念はまったくない。それにもかかわらず、法が身分によって左右されず、一方的な意図や権力によることなく、確実に遂行されている国は他にはない。法律は厳しいが、手続きは簡潔である。

 道徳はいやに難しいものではなく、素朴にして理に適った学問である。日本人は高潔な生活を実践することで、それを自分の生活態度のなかに追求している。あらゆる宗教宗派によって道徳は主張されており、神学そのものと決して相反するものではなく、むしろ密接な関連がある。
 
 東洋人の軍事科学は、極めて単純である。通例の戦術では欠けているものを、ここでは男らしい勇気と堅固なる意志、そして愛国心によって補うというのである。そして日本人はこの力量をもって常に勝利し、決して敵に屈しない。

 子供たちに読み書きを教える公の学校が、何か所にか設けられている。そこでは子供ら全員が声高に本を読むので、まとまってものすごい騒音となる。一般に子供らは、懲罰を加えられたり殴打されたりすることなしに育てられる。低学年のうちは、過去の英雄の徳や勇気にあやかるよう、勇気づけるような歌がうたわれる。青年期になると、教える側も熱心になり、彼らには適切な手本が示される(学問)。

 日本の法律は厳しいものである。そして警察がそれに見合った厳重な警戒をしており、秩序や習慣も十分に守られている。その結果は大いに注目すべきであり、重要なことである。なぜなら日本ほど放埓なことが少ない国は、他にほとんどないからである。さらに人物の如何を問わない。法律は古くから変わっていない。

 説明や解釈などなくても、国民は幼児から何をなし何をなさざるべきかについて、確かな知識を身に付ける。そればかりでなく、高齢者の見本や正しい行動を見ながら成長する。

 国の神聖なる法律を犯し正義を侮った者に対しては、罪の大小にかかわらず、大部分に死刑を科す。法律や正義は、神学と並んでこの国における最も神聖なるものと見なされている。ここでは金銭をもって償う罰金は、正義にも道理にも反するものと見なされる。罰金を支払うことで、金持ちがすべての罰から開放されるのは、あまりにも不合理だと考えているのである。

 殺人を犯した者は死刑に処される。そしてもしどこかの町や路上でそのようなことがあったとすれば、犯人が処せられるのみならず、時には肉親、縁者または隣人までもが程度に応じて罰せられる。それは、多かれ少なかれその犯人に罪を犯させる原因をつくったとか、防げる犯罪を防がなかったとかいったことによる。人に対して刀剣を抜くことは、命がけである。

 密輸入者はもちろん、それにかかわった密輸品の販売者・購入者までことごとく、容赦なく死刑に処せられる。すべての死刑執行礼状は、執行前にあらかじめ江戸の幕閣により署名される。そして常に、事前に所轄の法廷で訊問が行われ、目撃者の証言が聴取されたあとに執行されるのである(法律と警察)。


 法律および法律の執行が頗る峻厳であるから、日本国内の治安は良好にして平穏である。説明や解釈などなくても、日本人は幼児から何をなし何をなさざるべきかについて、確かな知識を身に付け、高齢者の見本や正しい行動を見ながら成長し、高潔な生活を実践することで、道徳を自分の生活態度のなかに追求しているから、法令集が薄っぺらで、裁判官の数が僅少ですむ。

 かくして日本人は法律に準拠する自由を謳歌し(海外渡航の自由はないが)、自由(国家権力に干渉介入されないこと)は我儘や放縦へと流れることなく日本人の生命となる…か。

 もしイギリスのエドマンド・バークが来日していたら、バークの自由哲学(フランス革命の省察1790年)を既に実践していた日本人を見て、やはりツュンベリー同様に驚嘆したのではないだろうか。
 道徳教育の再興と死刑制度の存続に反対する意見が主に日本の伝統文化歴史に敵意を抱く左翼全体主義勢力から出ていることは、決して偶然ではないのである。

 いま我が国に必要なことは、鳩山首相の希求するさらなる「開国」ではなく、閉じられた江戸時代の日本を振り返り、日本国の美風と日本人の長所を再建し、外国人の出入国管理を厳しくすることである。山積する国内問題の解決に集中し、国力を充実することである。日本国に群がる蝗害のごとき永住中国人への地方参政権の付与するなど言語道断の所業であり、外患誘致予備罪に匹敵する。

 出島三学者の江戸時代旅行記三部作を読み江戸時代暗黒史観から解放された日本人には、日本国の無血開城を希求する鳩山由紀夫など妄想に取り憑かれた狂人にしか見えないだろう。

 子供がそれらを読めば、瞬く間に日本人らしさを身につけることができる。だから、もし筆者が教師ならば、「日本人らしさの再発見するための教科書」として生徒に読ませたい素晴らしい歴史旅行記が1791年初版刊行のツュンベリーの江戸参府随行記 である。
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posted by 森羅万象の歴史家 at 00:00| 憲法学の名著と迷著 | 更新情報をチェックする