2014年03月09日

「現人神と国家神道という幻想」 浄土真宗左派親鸞原理主義者は地獄に落ちるべし!

 我々日本国民は心の片隅にある「裁判官は公正中立清廉潔白にして博識である」という幻想を捨てて、政治家と官僚と同様に裁判官を批判し監視しなければならない。

「現人神と国家神道という幻想」 の目次

第一部「現人神」という幻想

第一章通俗的な「現人神」論の崩壊
現人神「明治起源説」
現人神「昭和起源説」の出現
修身・日本史小学校教科書の変化

第二章明治初期から「教育勅語」の発布のころまで
明治初期の苦い体験
天皇「神孫」論の意味
「祭神論争」の教訓
憲法・教育勅語の思想
君臣関係の力点

第三章「教育勅語」の発布から第一次世界大戦のころまで
「教育勅語」の準公定解釈と学校行事
さまざまな民間注釈書
日清戦争以降における「家族国家論」の流行
日本神話ぬきの天皇論
「現人神」の創作者―加藤玄智
上杉慎吉の天皇絶対論
「八紘一宇」の提唱者―田中智学

第四章第一次世界大戦から満州事変のころまで
第一次大戦以降の思想問題と政府の対応
「神話」軽視の風潮の反映
「共産主義」への恐怖がもたらした思想統制
「思想困難」の複雑さ
対抗イデオロギーとしての国体論
「総力戦思想」もたらした軍部の教育介入

第五章満州事変以降
満州事変以降における諸潮流の合体
「天皇機関説事件」から国体の本義の編纂へ
国体の本義の内実
近衛文麿と東亜新秩序声明
荻窪会談から三国同盟へ
三国同盟から臣民の道へ
平凡な結論と新たな推理

第六章「創られた伝統」としての「現人神」
佐藤信淵の評価にみる「伝統の創出」
大国隆正の評価にみる「伝統の創出」
占領期における「創られた伝統」の正当化・固定化
戦後における「創られた伝統」の増幅
「現人神」「八紘一宇」はまやかしか
「歴史意識の古層の隆起」としての天皇論

第二部「国家神道」という幻想
第一章「国家神道」は如何にして創られたか「幻想」の系譜をたどる
国家神道「幻想」の産みの親―加藤玄智
「幻想」の媒介者―D・C・ホルトム
はじめに「神道指令」あり
国家神道「幻想」の拡大者―藤谷俊雄
虚像の完成者―村上重良
憲法学会への宣教者―宮沢俊義

第二章神社参拝は「法的に」強制されたか
「現人神」信仰という虚像
国民個人に対する「法的強制」などなかった
憲法発布当時の「臣民たるの義務」の解釈
内村鑑三不敬事件とは何だったのか
昭和における「臣民たるの義務」の解釈とその変化
司法官・行政官たちの解釈の変化

第三章強制された「事実」
国家的な神社などほとんどなかった
「国家の宗祀」の回復へ
それは日露戦争後に始まった!
「神社問題」の発生と政府の態度
宗教制度調査会での論議沸騰
丸秘の修正案
「神社問題」を一変させた上智大学事件
拒否できない空気の醸成

第四章「神社非宗教」論とは何だったのか
「宗教」は不変なのか?
政治的意味の変転
「国家神道」による宗教弾圧?
海外神社も国家神道?

第五章「幻想」を必要としているのは誰か
体験を客観視できない戦中派
「国家神道」あるところに浄土真宗あり!
「国家神道」とは浄土真宗と見つけたり
マスク・イデオロギーとしての国家神道

第六章蜃気楼が消えた後には?
再び「魔術」に欺かれないために-「演繹」の誘惑に打ち勝とう
明治維新は「一揆」だった!
国体という名の集合思想
平凡な政教関係 公認教制度


「明治憲法が『天皇は神聖にして侵すべからず』と定め、天皇が現人神とされて以来、国が一般に対して国家神道思想の教育を行い、それが国家を支え統治する思想として支配的となり、(中略)その時代には、まさに国家機関が宗教活動を行っていたものであった」(平成四年、愛媛県知事玉串料等奉納事件・高松高裁判決)

 以上の判決理由は全くデタラメである

 明治憲法は天皇を「無答責の地位」(神聖不可侵)に置いているだけで、天皇を現人神と規定していないし、神社に国教的地位を与えてもいなければ、臣民の義務に神社の参拝を盛り込んでもいない。明治憲法は日本国憲法(12条、20条)と同程度に信教の自由を保障している。

 そして帝国憲法下の明治・大正・昭和の政府が神社に事実上の国教の地位を与えていたとも言い難い。

 何故ならば、明治14年に神道教導職が集まって布教を行っていた神道事務局の神殿に大国主神を祭るべきかを否かを巡って神道界に内紛が勃発し、これを解決できなかった神道界が紛争の裁定を政府に持ち込み、最後には天皇に勅裁を仰ぎ、決着を付けたのである。

 この神道界の内紛に懲りた政府は、翌年の1月に神社神道の神職が布教や葬儀を行うことを禁止した。この措置が解禁されたのは、何と昭和14年8月14日なのである

 そして政府が公文書で初めて天皇を現人神と規定したのは、昭和12年3月の国体の本義であるが、ここでは「天皇を現人神と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいう如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである」という注釈が付いていた。

 これを受けた文部省は、昭和14年以降に国定の修身教科書と小学校日本史教科書に天皇現人神論を記載し、昭和15年から神の国という言葉が日本史教科書に登場したのである

 著者の新田均氏が実証しているように、「日本国民を狂信的な戦争へと導いた現人神という思想と国家神道という制度は明治政府が日本の近代化のために考え出した」という裁判官の間に蔓延しているらしい歴史観は幻想であり虚偽なのでる。

 そして朝日新聞社と共産主義勢力と浄土真宗(とくに親鸞原理主義者と呼ばれている真宗左派)が、GHQの神道指令とマスコミに天皇の人間宣言に名付けられた昭和天皇の新日本建設に関する詔書を悪用し、現人神と国家神道という幻想を大きく膨らまして靖国神社の戦争責任を糾弾し、大衆の目から歴史の真実を覆い隠している。

 しかし今日の我々がGHQ発禁図書「大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義」と「現人神と国家神道という幻想」という名著をもって幻想を振り払うと、そこに剥き出される歴史の真実は、戦時中ひたすら戦争を煽っていた者は、朝日新聞社であり、戦後に共産党、社会党、日教組の大幹部になった共産主義者と元朝日記者のソ連スパイ尾崎秀実であり、浄土真宗の僧侶であり、神社神道の神職たちは、浄土真宗が布教と葬儀を仏教の独占とするために政府に受諾させた「神社非宗教」説に雁字搦めに拘束され、哀れなことに布教も葬儀もままならず、祭祀の厳修以外にできることは宮司のポスト争いに現を抜かすか、神社の地位向上運動に挺身するくらいしかなかったのである。

 何のことはない朝日新聞社と共産主義勢力と浄土真宗は、自分たちの戦争責任を靖国神社と神道になすりつけるためにデマを飛ばしているのである

 冒頭の愛媛玉串料訴訟の原告団長も真宗の僧侶なのである

<浄土真宗の真実>

 後の世は弥陀の教へにまかせつゝ いのちをやすく君にさゝげよ(日清戦争に際して真宗教団が門徒兵卒に与えた和歌)
  
 「代々の天皇陛下は、一方から申しますれば、天神の神胤すなわち神の子と申すことが出来ますけれども、亦他方からは、陛下のことを明神とも亦現人神とも申し上げてをるのでありまして、神より一段低い神の子ではなくして、神それ自身であるということであります。

 日本におきましては天皇陛下に対し奉る時は吾々臣民は絶対服従でありますが、西洋におきましては、歴史的に神に対して絶対的服従を要求されて居ることになって居ります。

 西洋にあっては即ち神、日本にあっては天皇陛下、西洋にあっては宗教上の信仰、日本にあっては忠孝一本、西洋にあってはキリスト教、日本にあっては天皇教」(1912年浄土真宗信者の加藤玄智著「我が国体思想の本義」)

 「尊き生命を国家に捧げて、名誉の戦死を遂げられた護国の英霊に対して、私共国民は衷心感謝と敬意とを致さねばなりませぬ」(昭和14年6月槇堂哲蔵「靖国神社の崇敬」)

 「いうまでもなく、日本の戦争は、それが天皇陛下の御名によって進められるのであるから正しい。すなわち聖なる戦である。これはわれら国民の信念であり、実に日本の基本的性格である。ここに日本の戦争観の根底がある。そしてそれは大乗仏教の精神と一致するものである」(昭和14年7月梅原真隆「興亜精神と仏教」)

 「わが国の天皇は現人神として天つ神の御意のまにまに治め給う国であるという信念は必然的に天皇に対する絶対随順の心を湧き出さしめ、国体に対する絶対信頼の情を起こさしめる」(昭和16年普賢大円「神ながらの道と浄土真宗」)

 「日中戦争が始められ、総動員体制が敷かれると、教団指導層は国家の協力要請をまちかねてでもいたように、門徒民衆の積極的支持を実現すべく総力をあげて活動を展開した。ほとんどの門徒民衆がそれに対していささかの違和感も抱いていなかったようにみえる」(福嶋寛隆「戦時教学と真宗」)

 「現人神信仰は、この法主生仏信仰の焼き直しではないだろうか。二つの信仰はきわめて似かよっており、成立は法主生仏信仰の方が早いのであるから」(菱木政晴「浄土真宗の戦争責任」)


 然らば、戦国時代に本願寺が「進めば極楽浄土、退けば無間地獄」と一向一揆を煽り立て織田信長軍と激戦を繰り広げたごとく、日清戦争から大東亜戦争に至るまで、なぜ浄土真宗がかくも熱狂的に我が国の戦争遂行を支持し、戦意の高揚に努めたのか?

 残念ながらこの本には書いていない。しかしなぜ浄土真宗が布教と葬儀を仏教の独占とするために「神社非宗教」説を政府に受諾させたか、読者が思案すれば、自ずと答えは見えてくるはずである。

 おそらく「現人神」「国家神道」という幻想-近代日本を歪めた俗説を糺すは、戦後民主主義時代を研究する歴史学徒の必須文献となっていくだろう

 そして平成生まれの日本の若者は、彼らが書いた現代史書を読み、日本の戦後を、日本の戦前よりもはるかに異様で狂気に満ちた時代と思うに違いない

 政治家、官僚、裁判官、学者、知識人、宗教家、新聞記者が平然とデマを撒き散らして金銭を得ているのだから

 彼らと同時代に生き、彼らの跳梁跋扈を許している我々は、彼ら詐欺師と同類に扱われるのである

 筆者は悔しくて堪らないので、明治以降の神道には天皇=現人神を頂点とする「一神教化」という路線があったという宗教学者の山折哲雄と、教育勅語の精神は天皇を唯一の神としてその神のために死ぬことを根本道徳とし、一切の道徳をこの根本道徳に従属させるものであったという哲学者の梅原猛に、一矢報いておこう。

 明治政府が国家に殉じた戦死者を慰霊する施設として東京招魂社のちの靖国神社を建立した結果、我が国の神々の数は爆発的に増えたのに、どうして戦前の日本に、天皇を現人神として崇拝する一神教が成り立つのか、八百万の神々を祭祀する天皇がどのようにして唯一神になったのか、明治・大正・昭和の天皇と帝国憲法下の政府がいつ天照大神や八幡大神(応神天皇)をはじめ全国各地の天津神と国津神と人物神を抹殺するという暴挙に出たのか、

 このインチキ学者どもめが!
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posted by 森羅万象の歴史家 at 12:00| 憲法学の名著と迷著 | 更新情報をチェックする