2014年03月11日

ナポレオン一世が語る枢密院の意義-枢密院帝国憲法制定会議資料憲法草案第五十七條説明参照

 我が国の国会は実質的に衆参両院からなる公選一院制であり、我が国の立法機関は公選議院の弊害に覆い尽くされてしまう。さらに内閣総理大臣の指名には衆議院の優越があり(日本国憲法第67条)、天皇陛下は衆院の多数を占める政党の指名に基づいて国会議員の中から内閣総理大臣を任命することになる。

 そうすると立法権を掌握する国会のみならず行政権を掌握する内閣にもデモクラシーの欠陥である公選議院の弊害が持ち込まれるのに、内閣に対してその弊害を是正する機関がない。これもまた日本国憲法の深刻な欠陥の一つであり、この憲法が規定する議院内閣制は悲惨である。そのことを教えてくれる憲法が帝国憲法である。

帝国憲法草案第五十七條 枢密院は重要の国務に就き天皇の諮詢に応う

【憲法説明】
 
 恭て按ずるに、天皇は既に内閣に倚て以て行政の統一を総持し、又枢密院を設けて以て詢謀の府とし、聡明を裨補(註、ひほ-裨は助けるの意味)して偏聴なきを期せんとす。

 蓋し内閣大臣は内外の局に当り、敏給捷活以て事機に応答す。而して優裕静暇思を潜め慮を凝らし之を古今に考え、之を学理に照らし、精核審査して以て謀議に参與し、制作に従事するに至ては、別に専局を設け績達学識其の人を得て之に倚任(註、いにん-倚は頼むの意味)せざるべからず。

 此れ乃他の人事と均しく一般の常則に従い二種の要素各々其の業を分つなり(仏国ロッシイ氏憲法論を採る)。那破列翁(註、ナポレオン)一世の論に、議官は予が商量(註、謀り考える、比べて考えるという意味)の為の心思なり、宰相は予が施行の為の心思なりと云えり。蓋し帝王は其の天職を行うに当たり、謀りて而して後之を断せんとす。即ち枢密院の設、実に内閣と倶に至高の輔翼たる所以なり。

 若し枢密院にして内聖聴を啓沃し、外内閣と和協し、偏せず党せず而して又能く(註、よく)憲法及び法律の問疑を剖解して正確な釈義を与え、行政上正当の方向を指導するに至らば、其の果たして憲法上の機関たるに負(註、そむ)かざるべきなり

 若しそれ大にしては議院閉会の際、危急命令の発布を要し、小にしては会計上法規の外に臨時に処分するの必要を生じるの類、之を枢密院に諮詢して然る後に決行するは、即ち為政の慎重を加うる所以にして、此の場合においては枢密院は憲法又は法律の一の屏翰(註、へいかん-屏は「かき」「ついたて」「ふせぐ」の意味、翰は「はたらき」「才能」の意味)として、政事上の末弊たる濫横の処分を監視するの任に居る者なり。

 但し枢密院は内閣と均しく国家に対し憲法上の責任を有する者に非ず。故に枢密院の職務は至尊(註、しそん-君主の尊称、天皇を指す)の諮詢あるを待ち始めて会議を開き意見を陳ぶることを得。而して其の意見の採択は亦皆一つに至尊の聖裁に由るのみ

 枢密顧問官の職守は可否を献替(註、けんたい-献は進、替は廃、「善を進め悪をやめさせること」「君主を補佐すること」の意味)し、必ず忠誠を以てし、隠避する所なく、而して進議の事は事細大となく至尊特別の許可を得るに非ざれば敢えて之を外に洩らすことを得ざるに在り。蓋し帷幄枢密の府は人臣外に向て直を売り名を求むる地に非ざればなり。

(附記)英国往昔枢密院顧問官の職に任ずる者は各宣誓を要す。其の誓條コークス氏制度論中に見ゆる者之を列挙せんに、第一、其の智力思慮の及ぶ所を尽くし君主に献替する事、第二、偏私なく君主の尊栄利益の為に及び公益の為に献替すうこと、第三、君主諮詢の機密及び枢密院において掌理する一切事件の機密を保守すること、第四、枢密院において掌理する一切事件に付き贓涜(註、ぞうとく-贓は賄賂など不正行為、涜は汚す)を禁ずる事、第五、枢密院において議決したる事項の執行を輔翼する事、第六、何人たりとも前項を犯さんと企つる者を排斥する事、第七、その他忠良なる顧問官として君主に対し尽くすべき一切の事項を恪遵謹奉すべき事、等是なり。

 現今枢密院顧問官をして宣誓せしむべき要旨は千八百六十七年の宣誓委員の報告に載せたり、而して左の勅語は以て其の大要を見るべし。

 卿は卿に委任せられ若しくは宣示せられたる一切の機密ならびに枢密院において秘密に討議したる事項の機密を保持すべく、其の他百般の事件において卿は忠亮なる臣隷として朕に対し分義の有る所を尽くさざるべからずと。


 伊藤博文が枢密院帝国憲法制定会議に提出した帝国憲法草案第五十七條参照には、ポルトガル、オランダ、瓦敦堡(ドイツ帝国を構成したビュルテンベルク王国)、スウェーデン、デンマークの憲法が列挙されているが、そこにはプロイセン憲法がない。帝国憲法草案第五十七條の説明と参照も、帝国憲法がプロイセン憲法のコピーであるという俗説がデマの類であることを証明していよう。

 帝国憲法草案第五十七條は、枢密院帝国憲法制定会議の審議と修正を経て帝国憲法第五十六條「枢密顧問は枢密院官制の定むる所に依り天皇の諮詢に応え重要の国務を審議す」となったが、帝国憲法草案が規定する枢密院の役割は変わらなかった。

 それは、天皇に対して一方を聴いて大権を行使する偏向を戒めるセカンド・オピニオン機関であり、内閣に対しては天皇直属のブレーン機関となり、また政党内閣の発足に対しては、これが内閣に運んでくる公選議院の弊害を是正する権限なき貴族院となり、内閣の輔弼と天皇の大権行使が憲法と法律より逸脱することを未然に防ぐ法の番人であった

 伊藤博文、金子堅太郎、井上毅、伊東巳代治らは、枢密院の規定を起草する際にも、帝国憲法草案第四條「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の條規に依り之を施行す」の憲法参照に引用されているブラクストンの言葉を強烈に意識していたのであろう。

 君主は唯だ天神と法律とに順従すべし。何となれば君主は法律に依て立つ者なればなりとは、英国の古諺遺訓なり。

 千三百年代の法学者ブラクストン氏の言 維廉三世第十二十三号の法律第二条は左の如く宣言せり。

 英国の法律は人民の生得権なり。王及び女王は法律に従て英国政府を統治すべく、輔相は法律に従て奉仕すべし。故に国教及び人民の権利、自由を保全する為に設けたる法律条例、並びに其の他の現行の法律条例を認むべしと。ブラクストン氏第一巻第二百三十四頁。


 千三百年代の法学者ブラクストン氏とは、おそらく13世紀のイギリス法学者ヘンリー・ブラクストンのことではないかと思われる。

 それにしても帝国憲法学-明治流憲法学は本当に面白い。大日本帝国憲法は、日本史から国体と旧慣を探りそれらを成文化する歴史憲法学の結晶にして、欧米諸国の憲法を比較調査しその長を採りその短を捨てる比較憲法学の成果であるから、実に国際色豊かである

 第四條説明にはブラクストン、第六條説明には応神天皇、第三十條説明には孝徳天皇と嵯峨天皇、そして第五十七條説明にはナポレオン一世が登場するのだから、帝国憲法の研究はまるで愉快な世界史旅行のようだ

 それにひきかえ戦後民主主義(占領憲法体制)を正当化し続けるインチキ憲法学者どもが想像を膨らましてGHQ製日本国憲法の各条項から好き勝手な解釈を捻り出しては、それを学説と称して学生に売るGHQ憲法学(転々と変わる占領憲法解釈-非常識なインチキ法学者の長尾一紘と園部逸夫)などは、憲法学者が吐いたゲロだ。

 それなのにGHQ憲法学をいわば「美味しいお好み焼き」と勘違いして食べていた愚か者が、伊藤真の憲法学講義を受けていた時の筆者である…。
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posted by 森羅万象の歴史家 at 07:00| 大日本帝国憲法の真髄 | 更新情報をチェックする