2014年03月15日

ゴジラが日本の領海に浮上した時の政府の権限(帝國憲法第七十條)-明治流憲法学奥義秘伝の原稿

 大日本帝國憲法起草者の一人である金子堅太郎から帝國憲法のコメンタリー「憲法義解」の英訳を贈られたマサチューセッツ州の大審院判事オリバー・ウェンデル・ホームズ(元ハーバード大学教授、金子堅太郎の師、のちにアメリカ連邦最高裁判所判事)は帝國憲法を次のように評した。

「この憲法は予の観察する所によれば、古来専制の君主権を制限して人民に参政の権利を与えられるものなり。其の之を制限し其の之を付与するに付きこの憲法は明に君主権を制限する箇条を示し、また詳らかに人民に附与せし権限をも明文に記載せり。而して其の不文に属し明瞭に記載せざるものは往古の如く悉く天皇の旧来継承せらるる大権に属するものなりとの主義を採るて起草せられたるが如し。

 そもそも憲法政治とは一国の政治を処理する機関の配置及び権限を明確にし、之を主管又は執行する軌轍を明示し、その確定したるものは天皇といえども濫りに之を変更することを得ざるの政体を云う。而して其の機関の中において人民もまた政治上に参与するの権限を得たるの政体を云う。

 然れども其の参政の程度及び権限は広狭は各国古来の歴史習慣等によりて定まるべきものなり、故に甲国においては参政の程度広大にして乙国においては其の区域の狭小なるものあり。これ全く各国の習慣及び歴史より生ずるものなり。これ憲法に付いては一定の原理なき証拠なり。

 然れども其の参政の区域の広狭に拘らず憲法を以て帝王の専横を検束し、人民に参政の権利を与えたる政府なれば之を称して立憲政府と云わざるを得ず。日本憲法はこの理を看破せられたるものと予は断言せんと欲す。  

 又日本憲法は天皇の大権のある部分を拘束して本年よりは日本人民に政治上の生命を与えられ、而してこの政治上の生命は古来いまだかつて存在せざるものなり。この政治上の生命あれば即ち其の政府を称して立憲政府と謂わざるを得ず。日本政府においてこの論理を採用せられたるは予がもっとも感服する所にして、賢明なる政治家の所為と言わざるを得ず。」(金子堅太郎著憲法制定と欧米人の評論1938年)


 憲法は「一国の政治を処理する機関の配置及び権限、之を主管又は執行する軌轍」の中でも特に非常事態において国家の存立と国民の生命を守るための政府の権限とこれを行使するための手続きを明示しなければならない。非常時の政府は国家的な危機を克服するために平時の政府より強大な権限を行使せざるを得ないからである。憲法がそれに一定の歯止めをかけることこそ立憲政治である。

 帝國憲法第七十條の「帝國議会の召集不可能時の緊急の需要ある場合における勅令に依る財政上必要の処分」は立憲政治の模範である

 政治家を志す日本の若者は、「日本をカエル」とか「ミーンィの尊重」とか叫ぶ前に、帝國憲法を学び、枢密院帝國憲法制定会議に結集した偉大な明治の先人たちの叡智や政治哲学をすべて吸収すべきである。

枢密院帝國憲法制定会議帝国憲法草案第七十條 國家の危難を避くる為に緊急の需用ある場合に於て内外の情形に因り 政府は帝國議会を召集すること能わざるときは勅令に依り財政上必要の処分を為し國債を起し又は臨時に新税を課することを得 前項の場合に於ては次の会期に於て帝國議会に証明し其の将来に法律の効力を要するものは議会の承認を求むべし

【枢密院に提出された第七十條注解】

 本條の解釈は既に第八條に具わる。故に本條に於ては独逸各邦の同一又は類似の條文を引載し参考となすを以て足れりとすべし。

 本條の第八條と異なる所の者は、第八條は憲法に於て議会開会せざるときは臨時会の召集を要せず、本條は議会開会せざるときは臨時会の召集を要し、而して内外の情形に由り臨時会を召集し能わざるときに限り、始めて議会の叶同(註、 キョウドウ-叶は、多くの人々の言葉と言葉が調和するの意味を表す。協の古字 )を待たずして必要の処分を施すことを得。蓋し本條は専ら財政に関るを以て更 に一層の慎重を加ふるなり
 
 本條に所謂財政上必要の処分とは、立法議会の承認を経べき者にして、而して 臨時緊急の場合の為に承認を経ずして処分するを云う。即ち会計法に定めたる定期証券を額外に増発し、又は紙幣を増発するの類を云うなり。

 全二項に於て、政府臨時の処分、及一時の徴税は其の会計を議会に証明するに 止まり、承認を要するの限に在らず。但し租税に係る勅令にして永久に施行する 経常税の効力を有せしめ、及國債の勅令に就て将来國庫の為に義務を生ずるが如きは、更に議会の承認を求むるを要す。

【枢密院に提出された第七十條参照】

巴威爾(バイエルン)第七條 國王は非常なる外部の事状に由て國会が翌年の為の新定の予算を 付予すべき会期の当年に召集することを妨げらるるときには仍前年度の租税を六 箇月間引続き徴収するの権利を有す。

第十五條 非常の場合に於て外事の危迫に由り不得已(註、やむをえず)國債の募集を要し而して外部の時情國会を召集すること能わざらしむるときは常置委員 は國会の名に於て募債前諾を予うるの権利を有す。國会の召集を得る場合に至れば直に募債に係る一切の商議を報告して國債台帳に記入すべし。

巴丁(パーデイ)第六十三條 開戦準備の際に於て又は交戦の間に於て大公は連邦の義務を迅 速に且つ有効に履行する為に國会の承認を受けずして國債を起し及び戦税を課することを得。此の場合に於て國会は下に掲げたる監督及共同行政の権を行う。

索遜(ザクソン)第百五條 政府は國会の承諾なくして有効に國債を募集することを得ず。至急を要する場合に於ては両議院の臨時会を開かむべし。若し臨時会を開くこと を得ざるときは國王は内閣の責任を以て國債を命令す。但し成るべく速に之を承 認する為に國会を召集すべし(一八五一年改正の條)


 明治の自由民権運動を代表する交詢社系の郵便報知新聞社説私考憲法草案と交詢社の私擬憲法案に帝國憲法第七十條に相似する規定は無い。

 帝國憲法草案第七十條は、枢密院の審議によって「公共の安全を保持する為緊急の需要ある場合に於て内外の情形に因り政府は帝國議会を召集すること能わざるときは勅令に依り財政上必要の処分を為すことを得 前項の場合に於ては次の会期に於て帝國議会に提出し其の承諾を求むるを要す」と修正された。この修正案が明治天皇の御裁可を得て帝國憲法第七十條となった。

 天皇の政府が緊急勅令を発して財政上の必要の処分を行い、これを次の会期の帝國議会に提出したものの、議会の承諾を得られなかった場合はどうなるのか。伊藤博文の大日本帝国憲法義解第七十條は次のように解説している。

 「臨時財政の処分にして将来に國庫の為に義務を生じる者、もし議会の事後承諾を得ざるときは、何等の結果を生ずべきや。蓋し議会の承諾を拒むは将来に続行するの効力を拒む者にして、其の既に行える過去の処分を追廃するに非ず(第八條の説明既に之を詳にす)。故に勅令に依り既に生じたるの政府の義務は議会これを廃すること能わず。

 そもそも若しここに至らば、國家不祥の結果として視ざることを得ず。これ本條の國家の成立を保護する為にやむを得ざるの処分を認め、又議会の権を存崇して尤も慎重の意を致す所以なり
 

 緊急勅令による臨時財政上の必要の処分、たとえば戦費調達のための止むを得ない外債の発行あるいは外国製武器の購入から生じる政府の支払い義務は、臣民の租税負担を加重するにもかかわらず(今日の管理通貨制度では必ずしもそうではないが)、臣民の代表機関である帝國議会は外國に対する政府の支払い義務を廃止し得ない。

 ゆえに帝國憲法上、政府が議会の承認を経ずに既存の法律を改廃できる緊急勅令(第八條)を発するための要件(必要条件)より、議会の承認を経ずに臨時財政上の必要の処分を行う緊急勅令(第七十條)を発するための要件が厳しくなっているのである。

 従って大日本帝國(帝國憲法を最高法規として戴く日本)では、たとえ帝國議会の閉会中にマリアナ海溝からゴジラが日本の領海に浮上しても、宇宙からアンゴル・モアの大魔王が日本の領空に降臨しても、帝國議会臨時会の召集が可能な限り、日本政府は、緊急勅令に依る臨時財政上の必要の処分を実行してはならず、日本國防軍にゴジラとアンゴル・モアを迎え撃たせるために必要なる臨時の戦費を編成し、これを帝國議会臨時会に提出して衆貴両院の協賛(承認)を経なければならない。

 当然ながら政府が議会の閉会中に緊急的立法措置として制定した緊急勅令(帝國憲法第八條)も帝國議会の審議と議決を経ることになるのである

 この帝國憲法第七十條は、ソ連共産党と国家社会主義ドイツ労働者党(略称ナチス)を真似た大政翼賛会の一党独裁を阻止し、近衛新体制運動を推進した尾崎秀実ら近衛内閣の革新政治幕僚たちの無法な野望を粉砕した救國の憲法條項の一つである

 近衛文麿は、陸軍参謀本部の猛反対を恫喝してトラウトマン和平工作を打ち切り、「爾後国民政府を対手とせず之を抹殺する」の第一次近衛声明を発表した。近衛は長期戦を遂行するために止むを得ず国家総動員法発動と近衛新体制運動を推し進めたのではなく、上からの國内革新を実現するために、故意に支那事変を長引かせ、経済上の困難が甚だしきに至る非常事態を日本國内に作り出したのである。

 しかしながら日本国内に戦傷者と失業者と餓死者が溢れ経済が破綻するほどの戦争状態、あるいは大規模テロ、あるいは自然災害といった凄惨な非常事態が発生しても、帝國議会の召集が可能な限り、日本政府はあらゆる政策の実施に必要不可欠な予算案を編成し、これを帝國議会に提出して、衆議院代議士と貴族院議員の審議と批判と議決を経なければならない。

 ゆえに大政翼賛会が成立した直後の第七十六回帝國議会衆貴両院の予算委員会において、近衛内閣は衆議院代議士と貴族院議員「大政翼賛会違憲論」という猛非難を浴びせられ、大政翼賛会は大幅に予算を削減され、政府の補助組織に転落させられたのである。

 つまり「ヒトラーのナチス独裁党の誕生を許すワイマール共和国憲法の欠陥が明治憲法にはなかった」のである(中川八洋著近衛文麿とルーズヴェルト-大東亜戦争の真実133ページ)。

 ところが自民党長老の中山太郎をはじめシェイエスの革命的制憲論にかぶれた連中の「民定にあらずんば憲法にあらず」という憲法観によると、大政翼賛会の一党独裁を阻止した欽定の大日本帝國憲法は憲法ではなかったということになってしまう

 この狂った憲法観にとりつかれた政治家は、帝國憲法を無視し或いは軽蔑し、枢密院帝國憲法制定会議に結集した明治の偉人たちの巨大な英知を学ばないので、彼等の憲法論は蛙鳴蝉噪(あめいせんそう、カエルの鳴き声とセミの鳴き声、つまらぬことをグダグダと述べている文章、つまらない議論という意味)となるのである
【関連する記事】
posted by 森羅万象の歴史家 at 12:00| 大日本帝国憲法の真髄 | 更新情報をチェックする