2014年03月16日

稲田朋美の正論!衆参自民党の両エースが日本国憲法無効論者になった-里見岸雄の間違いを正した井上孚麿

 大日本帝國の憲法学会を代表する憲法家の一人であった井上孚麿(たかまろ)は、宮沢俊義の八月革命(すでに恥かき革命説であるが)を戦後憲法学の通説にした違憲有効界の魑魅魍魎たちに屈することなく、日本国憲法無効・大日本帝國憲法復原増補(改正)論を唱え続けた。

 そして南出喜久治弁護士が井上孚麿の衣鉢を継ぎ、従来の無効論に、さらに詳細な無効事由と、帝國憲法復原の具体的方法と日本国憲法下で成立した法令の安定性を維持する緻密な法理論を加えて、新無効論を完成させた。

 2011年11月16日、参議院自民党のエースである西田昌司議員の紹介により、日本の戦後史上初めて、日本国憲法の無効請願が国会に受理された。さらに衆議院自民党のエースである稲田朋美議員が正々堂々と日本国憲法の無効を公言した。

 日本国憲法無効論は衆参自民党のエースの支持を得るに至った。稲田朋美議員の憲法論にはまだ不徹底な部分があるとはいえ、所長は微力ながら、2001年の東亜連盟戦史研究所の開設以来(日本戦史研究所か大東亜戦争研究所と名づければ良かったと後悔している)、日本国憲法無効・大日本帝國憲法復原増補(改正)論を唱え続けてきた者として、まことに感慨深い。

平成24年 稲田朋美年賀会ご挨拶

1月8日、福井にて年賀会を開かせて頂きました。その際のご挨拶です。

 TPPもマニフェストにはありませんでした。TPPというのは単に関税を下げるとかいう問題ではありません。国柄を変えるかどうかの問題なのです。そしてこれもまた民主主義の危機の問題でもあります。日本の国会で決めた法律や規制がグローバリズムに反するといってアメリカから国際裁判所に提訴されるということは日本の立法権、司法権の侵害になり、日本の民主主義の否定につながるからです。

 しかし、野田総理はすでにTPP交渉に参加することを国際社会で表明しています。TPPに参加するなら覚悟が必要です。TPPの前提は自主防衛です。自主防衛ができる国でなければ真の外交交渉はできません。

 昨年8月、私は韓国に入国しようとして拒否されました。不当かつ非礼な行為です。友好国の政治家が正当な目的で、正式に入国手続きをしようとして拒否されたのですから。なぜ韓国は私たちの入国を拒否したのか。私たちが竹島を日本の領土と主張する日本の政治家だからです。

 つい最近、韓国は、日本の外務省を通じて今後、私たちが政治目的でなく入国するときには入国を許可しますといってきました。失礼な話です。政治家が公務で外国を訪問するのは「政治目的」以外にありません。韓流スターに会いに行くなら入れてくれるとでもいうのでしょうか?

 北方領土も同じです。ロシアのプーチンさんは、北方領土は第二次世界大戦の結果であって交渉の余地はないといっています。ロシアに北方領土の領有を主張する一片の正義もありません。

 尖閣もそうです。中国は尖閣を自分の領土と思い違いをしているのではなく、日本の領土と百も承知で取りに来ているのです。北朝鮮はわが国同胞を多数拉致して返そうともしない、ならず者国家です。

 このような国々に囲まれているのが日本だという認識をもたなければなりません。ところが、わが国の憲法の前文には、わが国の安全と存立を諸外国の信義と公正にゆだねると書いてあります。欺瞞であり、まやかしです。戦後日本の閉塞感の真因はこの自己欺瞞にあります。この憲法を変えなければ、日本は独立国になれず、TPPに参加してもアメリカにいいようにされるだけです。

 このまやかしに、見て見ぬふりをしてきたのが自民党政治でした。ずっと、無効の憲法を押し戴いて国ごっこをして、経済優先でのみ政治をしてきたのです。すべてが経済優先、物質的生活のため、お金のため、票のために正しい政治をしてこなかった。民主党デタラメ政治を生んだのは自民党なのです。そのことをわが党は反省し、変わらなければなりません。

 結局今の閉塞感はすべてまやかしが原因なのです。見て見ぬふりをし続けて65年、正義も勇気もありません。すべてが、経済、お金です。日本を救うのは、この欺瞞を打破することでしかありえません。正しいことをみんながすることです。

 まず政治家が正しいことをしなければなりません。何のために政治をやっているのか。お金のためでも、票のためでも、次の選挙のためでも、自分が政治家でありつづけるためでもなく、正しいをことする勇気を政治家が持たなければなりません。


 筆者は、もともと伊藤真の司法試験対策憲法学に感激した阿呆な法学徒であったが、戦史を執筆するために、近衛新体制運動と大日本帝國憲法を調べるうちに、自ずと日本国憲法無効・帝國憲法改正論者になった

 最近は、我が国の独立と生存と光栄を侵さず、日本国民を周辺諸国に媚び諂う卑屈な反日的日本人に転落させない形の平和主義条項を、第七十七條として帝國憲法に増補するだけで充分であると強く思う。

 同時に「一般的に法理論は徹底すればする程、人心を帰一融合せしむるものである」という以下の井上孚麿の現憲法無効論-憲法恢弘の法理が法学の真理であると深く確信する

 無効復原は実現困難であるから現憲法を漸次改正して行って最後に現憲法を打倒するがよいという説は果たして妥当か-否

 第四篇第四節において、各種の復原についての懸念は、いづれも杞憂に過ぎ、それらはすべて誤解に基づくことを明らかにしたのであるが、この復原は困難であるから、復原を断念して、漸次日本国憲法の改正を行っていき、最後に不法不当の日本国憲法を打倒すべきであるという復原困難説(又は復原不可能説)は、一応は無効復原を法理上正しいとし、日本国憲法はどうしても打倒しなければならないとしている所に、諸種の杞憂とは全く趣を異にする特色があるのである。

 しかし、これは矛盾も甚だしい妄論と評する外はない。法の問題は「法理の筋を通して」処置するのが最小限度の要件であるのに、その最小限度の要件たる法理の筋を通すことを捨ててしまって、自らが打倒しなければならないと信じている日本国憲法を改正することによって、(これは日本国憲法有効論に屈服したことである)その日本国憲法を打倒しようとするのであるから、全く支離滅裂の論という外はない。

 一般的に、法理論は徹底すればする程、人心を帰一融合せしめるものであるが、政治論は多々益々対立抗争を激化せしめる性質を有するものである。殊に憲法は法中の法であるから、常に法理論が好悪論や得失論や便宜論に先行する必要がある。

 にもかかわらず、法学者が法理論を捨てて便宜論を最優先的に考えるとは。これでは日本国憲法打倒どころではなく、多々益々対立抗争を激化して、収拾するところを知らず、しまいには自らが打倒されてしまう惧れがある。否々、既にこの説そのものが自己抹殺の論なのである(中略)。

 復原の実現はもちろん与えられた条件に即応してなされるべきであり、そして実現には先後があり、緩急があるべきであるけれども、法の政治は常に法理の線に沿ってなされるべきである。

 その法理をひたすらに究明するのが法学者の任務であるはずなのに、殊に、いわゆる国体学講明を以て任ずる学者が、法統の継続によってこそ国体を守るべきであるのに、その正統の法理を捨てて国体毀損の「日本国憲法」の有効説に屈服し、その逐次的改正によって最後はそれを打倒するというようなことを真面目に説くというのは、矛盾も甚だしいもの、自己扼殺の暴論というほかはない。

 或る者はいう。改正論・廃棄論・復原論等々を唱道する(先頭に立って主張する)のは学者かその仲間であるが、時の国会が実際には決定するので、その時の国会の多数決によって、「改正」か「破棄」か「復原」か、いづれともなる道理で、現在それらを唱道している者が直ちに決定するわけではない。
 
 自分は「改正」が正当だと信じてはいるが、日本国憲法打倒の一大目的の為には、それを固執する意思はない。改正論も破棄論も、有効論も失効論も、自主制定論も復原論も、すべてを活かしつつ、それらが悉く一致団結して、「日本国憲法打倒」を期すべきである、と。

 これは全く呆れ果てた支離滅裂の妄論と評する外はない。従来繰り返し説いたように、これらの諸論(失効論・復原論を除いて)はいづれも憲法論として失格者であり、しかも不倶戴天の仇敵関係にあるものであるから、「すべてを活かして」などということは夢にもならぬ妄想にすぎない。大同団結など全く企てて出来ることではない。

 これらが一堂に会して理論的争闘を繰り返し、その結果法理の正しきに復帰することを期すべきであるというなら話は分かるが、無効復原よりもこの方が容易であると考えて、右のような途方もないことを説くとは、分裂症を思わせるに充分である。

 「実際には不適当」とか「困難」とか、「とても国民が納得しない、ついて来ない」というのは、自らの学者的不明と無節操とを表白することであるし、また国民を軽蔑するというべく、結局は自己の非力と怯惰を自白するものであり、更には法理そのものを冒涜し、憲法無視の罪を犯すことになることを反省しなければならない(現憲法無効論-憲法恢弘の法理314~317ページ)。


 井上孚麿によって痛烈に批判されている或る学者とは、里見岸雄である。また里見に対する井上の批判は、象徴天皇制を日本国憲法の改正限界から意図的に除外している不愉快!臭いアカの憲法学のいわゆる憲法三原則(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)を信奉する違憲有効界改憲派学者の西修にも当てはまる。

 法の問題は「法理の筋を通して」処置するのが最小限度の要件であり、殊に憲法は法中の法であるから、憲法問題の解決には、常に法理論が好悪論や得失論や便宜論に先行する必要がある。この井上の言葉は至言である

 政治勢力が法理論より好悪論や得失論や便宜論を優先することができるなら、政治勢力は自分たちの好む政策ために、あるいは自分たちの利益のために、猫の目ように転々と変わる世論や国民の感情に迎合して得票を増やすために、いくらでも憲法を無視し、違憲行為を犯してもいいことになる。それを糾すべき憲法学者までもがそれを正当化すれば、我が国の立憲政治は終焉である。

 小泉内閣の企てた皇室典範の改悪と戦ってきた人々にとって、遅れてきた小林よしのりの女性女系(正確には我々臣民と同じ雑系であるが)容認論は、うんざりするほど既視感タップリの詭弁である。

 同じく暴力団GHQ製の日本国憲法有効論と戦ってきた人々にとって、遅れてきた谷田川惣の無効論批判と有効改憲支持論は、うんざりするほど既視感タップリの妄論なのである。

 およそ戦いに身を投ずる者は、分野を問わず、休戦後、必ず戦いの軌跡を正確に分析し、敗因を克服し勝因を継承し、次の戦いに備えなければならない。

 憲法改正論争および憲法効力論争は法戦である。暴力団GHQ製の日本国憲法が諸悪の根源と考える者、日本国憲法の打倒を志す者は、谷田川惣を反面教師として、戦後日本の法戦史でもある現憲法無効論―憲法恢弘の法理(1975年)を熟読玩味し、暴力団GHQの手先と化した違憲有効界に蠢く無数の魑魅魍魎たちと戦い続けた勇気ある先覚者-井上孚麿の叡智と不撓不屈の精神を十分に吸収してから、法戦に臨むべきなのである。

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posted by 森羅万象の歴史家 at 19:00| 憲政史の真相 | 更新情報をチェックする