2014年11月15日

中国農村の悲劇!日本の江戸時代にあった農村デモクラシー

 2012年1月16日、RFA中国語版(前編、後編)は、親子二代が村書記として「支配」する福建省福州市倉山区嶼宅村について報じた。村書記は前科者を集めた「護村隊」を組織し、従わない村民たちに暴力を振るっているという。昨年末、広東省陸豊市烏坎村が世界的な注目を集めた。

「烏坎に続け」 視察相次ぐ 中国「腐敗糾弾の村」 東京新聞、2012年1月22日

<烏坎村事件>

 昨年9月、村トップの共産党村支部書記が公有の土地使用権を勝手に売買し、その売却益の着服に怒った住民が抗議デモを決行。自治組織をつくって上部機関の広東省政府に調査を求め続けたが、昨年12月に自治組織の中心人物が警察当局の取り調べ中に急死。その後、抗議活動が激化したため、省政府はようやく村民の要求を受け入れ、村幹部の更迭など異例の決定を下した。

 村書記を追い出した村民たちが選挙で新たな書記を選んだこと、そして広東省政府が最終的には村民たちの要求を受け入れ、村民たちが選出したリーダーを書記として認めたという画期的な事件となった。あるいは烏坎村モデルが中国全土に広がることで、基層社会における民主選挙が導入されるのではとの期待も高まっているという。

 追放された村書記は、文化大革命末期の1972年から40年間にわたり村政府のトップの座を占めており、村の共有地を勝手に売り飛ばしてはその代金を懐に入れるという暴政を続けていたという。

 この村書記の「暴政」つまり共有地の勝手な売却と横領は、中国全土に蔓延する汚職腐敗であり、中国政府にとって頭の痛い問題である。昨年11月、人民日報は「幹部と群衆関係に信頼の礎を築け」という社社説を掲載している。その内容は「基層幹部は会統治の最前線であり、直接大衆と向き合っている。実質上共産党と政府のスポークスマンであり、その能力と態度が現地大衆の党の評価に影響する」というものである。

 村の支配者が暴政を振るう中で、 村レベルの民主制の拡大は既に現実的な政治課題となっているが、農村基層社会における民主選挙の導入は、中国共産党にとって、思わぬ副作用を生む危険性もあることから、なかなかタイムスケジュールに上がらない。

 翻って我が日本国では、江戸時代に、朝廷(天皇)と幕府(将軍)の間では権威と権力が分立均衡し、幕府と藩の間では邦建制によって権力が分散制限され(これが自由を生む)、藩の領内では年貢の請負制度によって農村の自治組織が確立した。

 農民の代表として自治農村の広範多岐にわたる村政を担当した村役人が村方三役-名主(関西では庄屋)・組頭(名主の補佐役、関西では年寄もしくは脇百姓)・百姓代(長百姓)-であった。

 村長である名主は江戸時代初期から存在したが、百姓代の成立は最も遅く、名主と組頭の不正追及に端を発した村方騒動を背景に登場し、一般農民層を代表して名主、組頭の行う村政の監査役を務めた。

 村方三役は江戸時代中期以降に成立し、村方三役の選出は村内で百姓の入札(投票)、協議、推薦によって実施され、幕藩領主はそれを認定するのみであり、原則として村役人の選出に介入しなかったのである。

 物狂いじみた読書家であり歴史家であった石原莞爾は「自由主義は日本民族の最も愛好するところであり、封建時代の日本民族は恐らく欧州の何れの国民よりも多くの自由を享受していたものと思う」と人類後史への出発の中に書いている。

 それを裏付けるように、法学徒および歴史学徒にとって必読箇所であるツュンベリーの江戸参府随行記第五章の「日本および日本人」は次のように記している。

 自由は日本人の生命である。それは我儘や放縦へと流れることなく、法律に準拠した自由である。法律はきわめて厳しく、一般の日本人は専制政治下における奴隷そのものであると信じられてきたようである。しかし作男は自分の主人に一年間雇われているだけで奴隷ではない。またもっと厳しい状況にある武士は、自分の上司の命令に服従しなければならないが、一定期間、たいていは何年かを勤めるのであり、従って奴隷ではない。

 日本人はオランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている。身分の高低を問わず、法律によって自由と権利は守られており、しかもその法律の異常なまでの厳しさとその正しい履行は、各人を自分にふさわしい領域に留めている。

 この広範なる全インドで、この国ほど外国人に関して自国の自由を守っている国はないし、他国からの侵害、詐欺、圧迫、暴力のない国もない。この点に関し、日本人が講じた措置は、地球上にその例を見ない。


 江戸時代の日本には、同時代の欧州諸国以上の自由があり、現代の中国にない農村基層社会における民主選挙があったのである。

 つまり共産中国のデモクラシーは、中共人民解放軍公式戦史が軍国主義の時代と批判する日本の江戸時代の農村デモクラシーにさえ到達していない。これが中国の現状である。

 しかるに戦後日本の各界に跳梁跋扈したいわゆる進歩的文化人や全共闘世代の左翼人は、事あるごとに共産中国を礼賛し、我が国の歴史を侮辱し、ソ連や共産中国を日本国内に誘致して、彼等には「遅れている暗い国」に見えた日本国を、彼等には「進んでいる明るい国」に見えたソ連や共産中国のような左翼全体主義国家に変えてもらおうと企んだのである。
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posted by 森羅万象の歴史家 at 00:00| 憲政史の真相 | 更新情報をチェックする