2014年07月07日

現代の共産中国に無く戦前の大日本帝国に有ったもの−反日新聞社の盆暗史観

 国民の代表機関である帝国議会によって可決された治安維持法は、主にコミンテルン(国際共産党、実態はソ連共産党国際部)の日本支部を取り締まるために、人間によって外形に表示される行為の一種である「結社」のうち、国体の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社を禁止する法律であった。これは結社の自由の極々一部分を民主的に制限したにすぎない。

治安維持法(大正十四年四月十二日施行、昭和三年六月二十九日緊急勅令により一部改正)

「国体を変革し又は私有財産制度を否認することを目的として結社を組織し又は情を知りて之に加入したる者は十年以下の懲役又は禁錮に処す。」


 当時のコミンテルン日本支部(日本共産党)は猛烈な非合法暴力革命闘争を展開するテロ団体であり、国体を成文化した大日本帝國憲法秩序の破壊を企てる反憲法団体であり、プロレタリア独裁という名の共産党による一党独裁を企てる反議会制デモクラシー団体であり、あらゆる自由の根幹である私有財産制と市場経済を否認する反自由主義団体であり、日本国のソ連邦化を企てる反国家団体であった。

共産党と議会主義についてのコミンテルンのテーゼ(1920年8月2日)

(一)国家制度のとしての議会主義は、ブルジョアジーの「民主的な」支配形態となった。ブルジョアジーは、一定の発展段階においては人民代表機関という擬制を必要とする。それは、外面的には超階級的な「民意」の組織として現れるが、本質上は支配的な資本家の手ににぎられた弾圧と抑圧の用具である。

(二)議会主義は、国家制度の特定の形態である。したがって、それは、階級をも、階級闘争をも、いかなる国家権力をも知らない、共産主義社会の形態とはけっしてなりえない

(三)議会主義は、ブルジョアジーの執権からプロレタリアートの執権への過渡期におけるプロレタリア的国家統治の形態でもありえない。内乱へと移行しつつある激化した階級闘争の時期には、プロレタリアートは、自己の国家組織を、不可避的に、以前の支配階級の代表を参加させない戦闘組織として建設しなければならない。
 
 およそ「人民の総意」という擬制は、プロレタリアートにとって直接に有害である。議会的な権力分立は、プロレタリアートには不必要で、有害である。プロレタリア執権の形態はソビエト共和制である

(四)プロレタリアートは、ブルジョア国家機構の重要な装置の一つであるブルジョア議会そのものを長期にわたって獲得することはできない。それは、プロレタリアートがブルジョア国家一般を獲得することができないのと同様である。

 プロレタリアートの任務は、ブルジョアジーの国家機構を爆破し、それとともに、共和制のそれと、立憲君主制のそれとを問わず、議会施設を破壊することにある(コミンテルン資料集第1巻224頁)。


 ロシア暴力革命以後に大虐殺を繰返したレーニンおよびスターリンの率いるソ連共産党が、コミンテルンとその日本支部を通じて我が国に暴力革命を輸出し、日本国のソ連邦化を狙ってきた。だからそれを阻止するために加藤高明内閣(自由主義の護憲三派連合)と帝国議会は治安維持法を制定したのである。

 当時の日本国民の殆どは、皇室を素朴に尊崇し敬愛しこそすれ我が国の国体すなわち国の自生的な根本規範にして、国政の成り立ちを定める由緒ある慣習法「万世一系の天皇が国家元首として統治権を総攬し給うこと」(総攬は親政や独裁を意味しない。詳細は韓国の邪悪な野望を打ち砕くアダム・スミスを超える日本の社会思想家)の変革や墾田永年私財法以来の私有財産制度の否認など夢想だにしなかった。

 だから治安維持法は、大日本帝国の人口の99.99%以上の国民には全く無関係の法律であり、我が国の立憲自由主義議会制デモクラシーを全く毀損しなかった。

 それが証拠に、治安維持法の施行から12年後の1937年4月30日の第20回衆議院総選挙では、宇垣一成内閣を流産させた帝国陸軍中央部の傀儡政権である林銑十郎内閣と鮮明に対決する民政党と政友会が大勝し、無産階級の革新政党である社会大衆党(日本社会党の前身)が衆議院の第三党に上り、政府与党の立場を採る昭和会と国民同盟は惨敗した。

第20回衆議院議員総選挙の党派別獲得議席数

•立憲民政党 179議席
•立憲政友会 175議席
•社会大衆党 36議席
•昭和会 18議席
•国民同盟 11議席
•東方会 11議席
•諸派 7議席
•中立 29議席

 立法承認権と予算承認権を有する帝国議会衆議院の刷新を狙い予算の食い逃げ解散を行った総理大臣の林銑十郎陸軍大将(予備役)は、赤恥をかいて政権を維持できなくなり、同年5月31日に林内閣は総辞職した。

 つまり政友会と民政党と社会大衆党そして有権者は自由な普通選挙を通じて合法的に陸軍中央の傀儡政権を倒したのである

 しかも1937年当時は天皇の名代として司法権を行使する独立不羈の裁判所に一般人が参与する日本版の陪審制(1928〜1943年、戦局悪化により一時中断したまま21世紀に至る)があった。昭和天皇は陪審法(大正十二年法律第五十号)の施行を非常に喜ばれたという。

 立憲自由主義的議会制デモクラシー、国政全般を支配するに足る議会の権限(立法承認権と予算承認権)、伊藤博文の座右の書「ザ・フェデラリスト」の説く議会分割の法理論に忠実なる議会二院制、司法権の独立、公選議院に対する国民の参政権(選挙権と被選挙権)、複数政党制、内閣が国民に信を問うために行う衆議院の解散、普通選挙、普通選挙を通じた政権交代、陪審制。

 これらは2014年7月7日の共産中国には全部無く、支那事変の勃発直前の1937年5月31日の大日本帝国には全部有ったのである


 それなのに現在の我が国では、特定秘密保護法に反対する新聞社は、戦前の大日本帝国を暗黒国家に描いてこれを非難しながら、一党独裁体制を維持する為に「司法権の独立」という言葉の使用すら禁止する中国共産党に媚び諂い、大気と大地を汚染し続ける共産中国(詳細は地球環境の敵は共産中国の一党独裁体制−司法権の独立の意義)を溺愛しこれに奉仕するのである

 戦前の日本が暗黒だったのではない。共産中国と反日韓国を溺愛する現代日本の新聞社首脳の思考が盆暗(ボンクラ)なのである防諜法体系の再建を妨害する日本の新聞社こそ盆暗の反日狂人集団なのである

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posted by 森羅万象の歴史家 at 19:00| 憲政史の真相 | 更新情報をチェックする