2014年08月12日

池上彰の報道公害を浄化する元学徒兵の鈴木正男の義憤歌

 池上彰の卑怯で卑劣なところは、自分の解説番組には池上に反論しない或いは出来ない無知蒙昧な芸能人を並べて、池上の博識を際立たせ、あたかも池上が賢人で池上の主張が正しいように視聴者に錯覚させる演出である。

池上彰が戦争を斬る「学徒の憤り知って」(日刊スポーツ2014年8月10日)

 ジャーナリスト池上彰氏(64)が10日、テレビ東京系「池上彰の戦争を考えるSP 第5弾~悲しみを生み出した言葉」(17日午後7時54分)の会見に出席した。

 池上氏は「戦争が終わった途端、自分たちに『聖なる戦いをしろ』と勇ましい号令をしていた軍の幹部が、責任逃れなどみっともない態度を示すことへの若い学徒の憤り、恨みを今の若い人に知ってほしい」と主張。その上で「平和のためと、平和を口にして戦争が始まったことがいっぱいあったことを知ってほしい」と語った。

 番組では、B級戦犯として処刑された学徒兵の悔しさをにじませる遺書を紹介。戦後なのに集団自決した南樺太の女性電話交換手の話などを紹介する。


 南樺太攻防戦は日本領内における最後の地上戦であって、女性電話交換手の自決は、戦争中の悲劇であり、決して戦後の事ではない。1945年8月15日から1952年4月28日まで我が国は連合国と国際法上の戦争状態にあったのである。

 それはいいとして、昭和18年(1943年)の学徒出陣は、国民の代表機関である帝國議会衆貴両院によって協賛(承認、過半数の同意)された兵役法に基づき、政府によって行われた。

在学徴集延期臨時特例(昭和18年勅令第755号)

兵役法第四十一条第四項ノ規定ニ依リ当分ノ内在学ノ事由ニ由ル徴集ノ延期ヲ行ハズ


 我が国の政府が軍備を拡張し対支米英戦争を遂行するための戦時予算は帝國議会の承認を経ていた。つまり我が国は民主的な手続きを経て戦争を遂行したのであり、我が国の国民自身が戦争を選択したのである。

 帝國議会衆議院が兵役法と戦時予算を否決していれば、我が国は徴兵制の維持も軍備の拡張も戦争の遂行も出来なかった。普通選挙の施行後に国民の代表機関である衆議院が徴兵制を維持する兵役法を可決していたのだから、当時の日本国民の国防意欲と敢闘精神が、今日なお徴兵制を維持しているデンマーク王国の国民程度に高かったのである。

 それなのに池上彰が「戦争が終わった途端、自分たちに『聖なる戦いをしろ』と勇ましい号令をしていた軍の幹部が、責任逃れなどみっともない態度を示すことへの若い学徒の憤り、恨み」のみを若い世代に伝えることは偏向報道であり、マスコミの虚報の詐術(故意に重大な事実を欠落させ、視聴者の思考を操作する騙しの技術)である。

道の友(不二歌道会)第六百三十八号

 昭和十八年、大東亜戦争の戦局激化に伴い、法文系大学、高専学生の徴兵猶予が停止され、多くの学生が学窓を後に、勇躍戦地へ赴かれた。この学徒出陣の日より、今年(註・平成十五年)は六十年の節目を迎える。昨年(註・平成十四年)、学徒出陣六十周年を期して、國學院大學戦没先輩学徒慰霊祭実行委員会OB有志により、「國學院大學より出征された戦没学徒の遺稿追悼集」の編纂が発案された。しかし戦後六十三年を経た今日、予想以上にその事業は困難し、現在も編纂作業が進められている。

 戦没学徒の手記などを纏めた遺稿集としては、『きけわだつみのこえ』があまりにも有名であるが、本書は昭和二十四年編纂当初より政治的イデオロギーをもって選別され、又いくつかの御遺書が故意に改竄された事実はよく知られているところである

 本書は、反戦、自由主義的な考えや軍への怨恨が、あたかも当時の出陣学徒の真情を代表するものであるかの如き印象を与え続けて来たが、本書が特異なものであることは、『きけわだつみのこえ』に反する形で次々に公刊された遺稿集、又靖國神社遊就館に展示される御遺書などを拝すればよく解かる

 広島県江田島の海上自衛隊(旧海軍兵学校)教育参考館には、東郷・山本両元帥の遺髪をはじめ、各層にわたる海軍関係者の書や遺品、および特攻隊員二千六百三十二柱の遺書や遺品が保存されている。この教育参考館初代館長の岡村清三氏は、嘗て次のように述べられている。

 「・・・・私は前に、『聞け、海神の声』という文章を見たことがあるんです。活字じゃなくて、本文を見せて欲しいと言っているんです。そのことで私の気持ちがお分かりかと思います。江田島には二千六百三十二名分の遺書がありますが、ああいう遺書は一通もありません。」(『戦没学徒の心』皇學館大學出版部刊行)

 戦後早々に上梓された『きけわだつみのこえ』は反戦平和の旗頭となり、戦後の風潮を形成していったとも言える。本書は幾度も重版され、その読者は三百万以上と言われており、日本人に与えた影響は少なくない。学徒出陣を語る時、「心ならずも戦地へ出征した・・・・」と代名詞の如く前置きされるのが常であるが、この言葉が如何に出陣学徒の精神を軽視し、歪曲し、御霊を冒涜するものであるか知らねばならない。

 嘗て御自身も学徒出陣された鈴木正男前代表が、学徒出陣五十周年に際して詠まれた歌を三首紹介したい。

 かの島(註・硫黄島)に 死ぬべきいのち ながらへて 残夢むなしく 生きるかなしさ 

 恨と怨 残して学徒は 征きたりと この大嘘に 歯がみするなり

 マスコミが 流す虚言は 山なすも 踏みな迷ひそ 今の若きら


 我が国において、平和のためと、平和を口にして戦争を拡大した元凶は近衛文麿首相と、朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実ら近衛のブレーントラスト昭和研究会に結集していた共産主義者たちである。

 1950年にGHQが「戦争と共産主義-昭和政治史秘録」を発禁処分にしてから、今日に至るまでGHQの検閲指針を受け継ぐマスゴミがその真実を示す以下の第一次史料をひた隠すこと既に64年間である。

我々は静かに『聖戦』の意味について三思する必要がある。今日一部に於て、もしも日本がその大陸に対する要求を具体的に明瞭に形の上に現わすのでなければ尊い血を流した勇士たちは瞑することが出来ない、又艱難辛苦しつつある出征兵士たちがおさまらないであろうとの説をなすものがある。絶対に正しからざる説である。恐らくは心事高潔ならざる輩が自己の心事をもって推しはかったものであるに違いない。一身を抛って国家の犠牲となった人々は絶対に何等かの代償を要求して尊い血を流したのではないと我々は確信するのである。東亜に終局的な平和を齎すべき『東亜における新秩序』の人柱となることは、この人々の望むところであるに違いないのである―。」(【尾崎秀実著作集2】313ページ、中央公論昭和十四年一月号「東亜協同体の理念とその成立の客観的基礎」)

 以上の歌と第一次史料を拡散して池上彰をテレビ界より追放することが日本再興の一歩である。

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・大日本帝國憲法第二十條は必ずしも「徴兵制の施行」を意味しない。新生日本国防軍の編制は伸縮自在に-明治流憲法学奥義秘伝の原稿
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posted by 森羅万象の歴史家 at 21:39| 日本国憲法の正体 | 更新情報をチェックする