2015年07月27日

朝日新聞社の軍部暴走史観を打ち砕く近衛首相の施政方針演説(大阪朝日新聞1938.1.23)

 朝日新聞社とその同類の反日左翼勢力は、大東亜戦争批判から近衛文麿のブレーントラスト「昭和研究会」に結集していた朝日出身のソ連スパイ尾崎秀実ら共産主義者とマルクス・レーニン主義およびコミンテルンのテーゼ(28年、32年、35年)を救い出すために、支那事変の拡大長期化の原因を軍部の暴走に転嫁する。

 しかしこれが歴史の偽造であることは、昭和13年1月22日の第七十三回帝国議会における近衛文麿首相の施政方針演説を掲載した翌日の大阪朝日新聞によって証明される。

東亜長久の平和確立に国民挙って勇躍難に赴け(大阪朝日新聞1938.1.23)

近衛首相の施政方針演説

 事変下に新年を迎え重大時局に直面する第七十三回帝国議会に臨み諸君とともに聖寿の万歳と皇室の御繁栄とを寿ぎ奉りここに政府の所信を開陳いたすの議会を得ましたことは私の光栄とするところであります、今期議会開院式に当りましては特に優渥なる勅語を賜わり時局に対する深き御軫念のほどを拝しましてまことに恐懼感激に堪えぬ次第であります。

 申すまでもなく日満支の強固なる提携を枢軸として東亜永遠の平和を確立しもって世界の平和に貢献せんとするは帝国不動の国策であります、先般無反省なる支那国民政府に対し断乎これを相手とせざるの方針をとるにいたりましたのもはたまた列国との友好関係の増進に不断の努力を怠らざるも、共にこの国策の命ずるところであります、殊に昨秋防共の理想を同じくする盟邦イタリーを加えて日独伊三国間に防共協定が成立しましたことは世界平和のため真に同慶のいたりであります。

 顧るに事変勃発以来ここに半歳余戦線は北支より中南支に及び皇軍の勇武果敢なる行動により戦捷相つぎ忽ち首都南京を攻略し戦局は極めて有利に展開しつつあるのであります、是固より御稜威の然らしむるところでありますが皇軍将兵諸士の忠勇と銃後国民諸君の熱誠とは真に感謝措く能わざるものであります、今や政府は帝国と真に提携するに足る新興支那政権の成立発展を期待しこれと両国国交を調整して更正新支那の建設に協力しよってもって東亜長久平和の基礎を確立せんとするものであります、もちろん帝国が支那の領土ならびに主権および支那における列国の正当なる権益を尊重するの方針には毫も渝るところはありません、惟うに東亜の安定勢力たる帝国の使命はいよいよ大にしてその責任は益々重きを加えるに至れるものといわねばなりません、この使命を果しこの任務を尽くすためには今後といえども多大の犠牲を払うの決意を要するは固よりであります

 しかも今日においてこの決意をなすにあらざれば結局不幸を将来に貽すものであります。したがって現代のわれわれがその犠牲を忍ぶことは正にわれわれが後代同胞に対する崇高なる義務であることを信ずるのであります、政府はかくのごとき見解に本づき全力を挙げて支那事変に対処しその目的の達成に邁進せんとするものであります、これがためには物心両様にわたり国家総動員事態の完成をはかりこれに必要なる諸般の施策の実現を期するものであります

 政府はこの方針によりまず軍備の充実と国費の調達とに遺算なからしむることが極めて緊要なりと信じ、財政、経済いずれの方面におきましてもここに重点を置くことといたしました、昭和十三年度予算案の編成につきましては事変の長期にわたるに備え、物資及び資金を出来得る限り軍事の需要充足に集中し軍需に関係ある資材および資金の一般消費はなるべくこれを減少せしめる建前の下にこれを編成したのであります

 産業方面においては日満支を通ずる全体計画の下、我が国生産力の充実を計るをもって基調となし殊に国防上緊切なる物資の供給、重要産業の振興、輸出貿易の伸張に力をいたしてまいりたいと存じます、また銃後の処理に最善を尽し出征将兵をして後顧の憂いなからしむるはもとより戦死傷病者とその遺族、家族に対する扶助援護につき適切機宜の措置を講ずるつもりであります。

 事変の前途は遼遠であります、これが解決は長期にわたることを覚悟せねばなりません、しかして実に事は曠古の大業であります、この大業を前にして国民挙って勇躍難に赴くの精神を発揮するにあらざれば到底成果をおさめ難いのであります。政府は堅忍持久、不退転の決意をもって事変の解決に努めんとするものであります。

 以上の如き考えによりまして政府はここに必要なる法律案および予算案を提出するものであります、よろしく政府の意のあるところを諒とせられ協賛を与えられんことを切望する次第であります


 近衛文麿は陸軍参謀本部の猛反対を恫喝してトラウトマン和平工作を打ち切り、「爾後国民政府を対手とせずこれを抹殺する」の第一次近衛声明を国内外に発表し、第七十三回帝国議会において以上のような施政方針演説を行いながら、敗戦後には以下のように遺言し服毒自殺したのである。

自分が罪に問われている主たる理由は、日支事変にあると思うが、日支事変で責任の帰着点を追及してゆけば、政治家としての近衛の責任は軽くなり、結局、統帥権の問題になる。したがって窮極は陛下の責任ということになるので、自分は法廷(註、東京裁判)に立って所信を述べるわけにはゆかない。」

 予算執行の手続きにおいて天皇の統帥大権は予算編成権を持つ内閣から独立できず、近衛内閣が支那事変を積極的に拡大するために必要な巨額の戦時予算を編成、これを帝国議会に提出したにも拘わらず、近衛文麿は昭和天皇に責任を転嫁したのである。

 河上肇の愛弟子である近衛文麿とは、平然と虚偽宣伝を行い自分の犯した悪行の責任を他人に転嫁する最悪の政治家であり、レーニンの革命的道徳を実践した最凶の反日的共産主義者の一人であった。

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posted by 森羅万象の歴史家 at 22:00| 憲政史の真相 | 更新情報をチェックする