2016年03月27日

討論と比較を嫌悪する岸井成格とSEALDs奥田愛基−戦時右翼とSEALDsの類似点

 岸井成格が自分の集団的自衛権違憲論に絶対の自信を持つならば、例えば集団的自衛権合憲論を唱える西修や、一国平和主義・集団的自衛権・憲法解釈の嘘を暴く樋口恒晴をTBSニュース23に招いて正々堂々と討論し、二人を論破すればよかった。

 そうすれば岸井とTBSは、放送法を遵守し、集団的自衛権容認に対する賛否両論を報道し国民の知る権利に奉仕しつつ、両論の善悪是非・正誤優劣を際立たせ、それらを視聴者に悟らせ、岸井が所属する集団的自衛権反対勢力に視聴者の圧倒的支持をもたらすことが出来たはずである。

 しかし岸井はジャーナリストを自称する言論のプロであるにもかかわらず公共の電波を使い一方的に自論を垂れ流すばかりで、公開質問にも公開討論にも応じず、敵前逃亡した。この岸井の言動は、岸井の主張が公開討論においてその反対論者の攻撃に全く抵抗できない脆弱な虚偽であることを自ら示唆し、安倍内閣に塩を送ってしまった。奥田愛基も岸井と同じ穴のムジナである。

デモクラシーな言葉@whatsdemocracy

(SEALDs奥田氏がマスコミに注文)両論併記はもうやめませんか。左右両方を扱ったつもりで、僕らのデモとヘイトスピーチの写真が並べられた。憲法守れと言っている僕らと、在日殺せと言っている奴ら、一緒ですか?この政治状況の中で何が「公正」か見極めて報じてください。


 奥田が「憲法守れと言っている僕ら」が「在日殺せと言っている奴ら」と違う、「僕ら」が正しく善・優で「奴ら」が誤りで悪・劣と確信しているならば、両論併記を大歓迎するはずである。両論併記は「僕ら」と「奴ら」の差異を際立たせ、そこに両者の本質が浮き上がるからである。

 ところが奥田は両論併記を嫌がるのである。奥田には「僕ら」が正しく善・優であるという確信と、「公正」を理解する知能がないからだろう。だから奥田は「両論併記の中止」という不公正な報道を希望しながら「この政治状況の中で何が公正か見極めて報じてください」とマスコミに注文するのである。全く支離滅裂な短文を公表する奥田は名実ともに田原総一郎の後継者である(田原総一郎のデタラメ憲法解釈とインチキ戦史講義参照)。

 そこで筆者は、岸井成格とSEALDs奥田愛基を反面教師として、国民のための大東亜戦争正統抄史79〜87近衛上奏文解説の85、思想侵略に以下の加筆と修正を加えました。

 一九三四年に来日した仏人ジャーナリストのモーリス・ラシャンは、当時のこれら一連の右翼革新運動を、天皇と勤労大衆を直結してその中間にある資本家階級を排除しようとする「ナショナル・コミュニズム」であると指摘した(12)。計画経済の本質が政府の恣意的な判断決定に依存する非計算経済であることを論証、これを完全否定し、小川平吉と共に近衛新体制に反対した山本勝市博士は、

 「結局自由経済に優るものなし、今日日本では右翼も左翼も皆マルキシズム思想を根底とする如し

と述べ(鳩山一郎日記昭和十五年四月二十九日の条)、原嘉道枢密院議長は、岩村司法大臣に右翼運動に対する取締の寛に過ぎること又は見当違いであることを力説して、右翼と赤とは必ずしも区別すべきではないことを強調し(4)、いずれも右翼の正体が共産主義者であることを見抜いていた。

 さらに国民精神文化研究所所員の山本勝市博士は、近衛内閣の経済新体制の理論的支柱になっていた日本経済の再編成と笠信太郎を徹底的に糾弾する「日本経済の再編成批判」を発表(一九四〇年六月〜九月)、笠信太郎の言動を分析して、「頻りにイデオロギーからの出発を否認する」笠が愛国者に擬装している共産主義者であること、笠の経済理論がマルクス主義に全面依拠する珍説愚論の類であり時局を救う提案としては一顧の価値もないこと、笠の推進する経済新体制は需給関係を示す市場価格の変動と利潤の計算(販売価格−仕入価格)に基づく自然かつ自由で合理的な人的物的資源配分と価格設定とを不可能とし必ず「経済計算の困難」という不可避の暗礁に乗り上げ日本経済を崩壊させることを指摘し、マルクス主義の根本的誤謬とマルクス主義に囚われた国の経済が崩壊する根本的原因とを理論的かつ実証的に抉り出したのである。そして山本博士は、日本経済を再興するためには、政府が国家総動員法の施行から僅か二年で「もう手を挙げるより外ない」(一九四〇年八月二十二日、商工次官の岸信介の発言)という状況に陥った戦時統制経済政策を潔く放棄し、アダム・スミスが神の手と名付けた無数の人間の意識を超えた自動調整機能を持つ自由主義的市場経済の復元を図らなければならないことを説き、国民に向かって次のように訴えたのである(13)。

 「殊に政策の行詰まりから、当局自身が手を挙げる外ないという如き場合こそ最も危険な時期である今日『新体制』等の掛声に乗じて、猛烈な左翼の暗躍の存することは疑うべくもないが、吾々は断じて、我が政治の当路をして左翼の敷施せる軌道に乗せる様な失態あらしめてはならない。
 政府当局も『新体制はどうなるか』という如き傍観的態度ではなく『どうするか』という態度を持つべしと国民に要求して居る。私は日本国民の一人として、殊に久しく経済体制の問題の研究を職として来た一人として、臣道実践の自覚のもとに敢えてこの小冊子を世に送るのである。

 なお一言付記して置きたい。最近地方の某県が笠氏を招いて講演せしめた際、あとで聴講者の一訓導は『貴下の思想は共産主義だとの批判があるが如何』と質問したところが、氏はそれに答えて『それは国民精神文化研究所のものであろう。彼は自由主義者である、自由主義は清算さるべきものだ、また彼は批判するが対案がないではないか』という意味のことを云ったそうである。
 読者よ注意されたい。共産主義者は常に自由主義を排撃するのだという事を(中略)。

 別に対案を出せという非難も、私に対しては当たらぬのである。私はそれを出して居るからである。神ながらの自らなる道(註、自由主義的市場経済のこと)に帰れというのがそれである。もっと具体的に明治の経済および経済政策の道に帰れと主張して居るのである。
 神ながらの道を、自由経済だの資本主義だのと勝手に非難して外に道を求めるという態度こそ今日、本道を逸脱して行詰を来した所以なのであるから、政治も倫理も、新しい道、新しい原理を編み出そうというすべての小ざかしき企てを捨てることこそ肝要なのである。
 甲案が行きつまったからと云って、乙案を求め、乙案が行き詰まったといっては、丙案を求めるという風に、あくまで新しい人智の改造案を古来の道の外に求めるという態度がいけないのである。昔ながらの倫理により、昔ながらの経済と経済政治の道を行くということになれば、道は、皇祖皇宗の御遺訓として、また祖先の遺風として、何人にも明に與えられて居ることを発見するであろう。

 物価を公定したり、物資を一元的に配分することを以て、戦争遂行のために必然不可避と考える人々は、明治時代の政治家は誰一人としてそのようなことを、必然不可避とは考えずに、却ってそのような思想を社会主義として弾圧しつつ、軍備も整え、戦争もやったという事実を反省すべきである。
 而して自分たちがそのような政策を必然不可避と考えるに至ったのは、何時頃からのことか、また如何なる思想の影響によるか、ということを静に反省して見るがよいのである。 
 社会主義による『自由経済否認、資本主義反対』という思想的前提なくして、そのような必然不可避論があり得るのであろうか。」

(4)深井英五【枢密院重要議事覚書】二二八頁。
(12)曽村保信【地政学入門】一三二頁。
(13)山本勝市【日本経済の再編成批判】前書き。


 近衛文麿の最高政治幕僚として国家総動員法の発動を推進した朝日新聞経済担当論説委員の笠信太郎の「日本経済の再編成」摘要と、経済学博士として笠を糾弾した山本勝市の「日本経済の再編成批判」摘要との両論併記は、笠信太郎のみならず近衛内閣、1940年戦時体制、陸軍統制派の正体を白日の下に晒してしまうのであるわーい(嬉しい顔)

 また筆者に「日本経済の再編成批判」摘要を加えられた国民のための大東亜戦争正統抄史79〜87近衛上奏文解説は、「ソ連はなぜ諜報謀略に長け、なぜ経済に失敗し無惨に崩壊してしまったのか」という疑問に対する簡潔な解答となり、無党派層の純粋無垢な若者の政治運動に擬装しているSEALDsの政治闘争戦術が笠信太郎ら戦時右翼の劣化コピーにすぎないことも白日の下に晒しわーい(嬉しい顔)、これから参政権を行使する高卒の若者が、日本のナチスに続いて鳩山由紀夫より醜悪で愚劣な無限のルーピーに転落してしまうことを防止するのであるわーい(嬉しい顔)

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劣化左翼と共産党 SEALDsに教えたい戦前戦後史

・敗戦後の日本の共産主義者は「われわれは断乎戦争に反対した」「軍閥戦争に反対したのは共産党だけだ」と言うが、共産主義者の主張が真赤な虚偽であり、彼らこそ世界資本主義体制に代わる共産主義的世界新秩序を構成する東亜新秩序−東亜共産主義社会を実現するために、戦争の拡大を煽動していた張本人であることを多数の第一次史料を挙げて完璧に証明する大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義

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posted by 森羅万象の歴史家 at 12:00| 政治の全般 | 更新情報をチェックする