2014年03月11日

ナポレオン一世が語る枢密院の意義-枢密院帝国憲法制定会議資料憲法草案第五十七條説明参照

 我が国の国会は実質的に衆参両院からなる公選一院制であり、我が国の立法機関は公選議院の弊害に覆い尽くされてしまう。さらに内閣総理大臣の指名には衆議院の優越があり(日本国憲法第67条)、天皇陛下は衆院の多数を占める政党の指名に基づいて国会議員の中から内閣総理大臣を任命することになる。

 そうすると立法権を掌握する国会のみならず行政権を掌握する内閣にもデモクラシーの欠陥である公選議院の弊害が持ち込まれるのに、内閣に対してその弊害を是正する機関がない。これもまた日本国憲法の深刻な欠陥の一つであり、この憲法が規定する議院内閣制は悲惨である。そのことを教えてくれる憲法が帝国憲法である。続きを読む
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2014年03月07日

小沢民主党の一党独裁を許さない君主の拒否権-大日本帝国憲法と交詢社の私考憲法草案との比較

 明治の自由民権運動を代表する交詢社の私考憲法草案はイギリス直系らしく立法権の所属先を明示してない。

第二条 皇帝は左右両院において議決せる日本政府の歳出入租税国債諸般の法律を批准す
(第三条 日本政府の歳出入租税国債及諸般の法律は元老院国会院において之を議決し天皇の批准を得て始めて法律の効あり)


 しかし第二条註解は次のように解説する。

 凡(すべ)て治国に係わるの事は尽(ことごと)く皇帝陛下の行わせたまう所なるを以て両院において議決する所のものは皇帝陛下の批准を経るにあらざれば法律たるの効なきものとす英国憲法の如き亦然り。

 交詢社の私考憲法草案も帝国憲法と同様に議会に対する天皇の拒否権(べトー)を認めるのである。

【伊藤博文の帝国憲法義解第六条解説】

 第六条 天皇は法律を裁可し其の公布及執行を命ず

 恭て按するに、法律を裁可し式に依り公布せしめ及び執行の処分を宣命す。裁可は以て立法の事を完結し公布は以て臣民遵行の効力を生ず。此れ皆至尊の大権なり。裁可の権既に至尊に属するときは其の裁可せざるの権は之に従うこと言わずして知るべきなり。裁可は天皇の立法に於ける大権の発動する所なり。故に議会の協賛を経と雖も裁可なければ法律を成さず。

 蓋し古言に法を訓みて宣となす。播磨風土記云。「大法山 今名勝部岡 品太天皇応神天皇於此山宣大法故曰大法山」と。言語は古伝遺俗を徴明するの一大資料たり。而して法律は即ち王言なることは古人既に一定の釈義ありて謬らざりしなり。
 
(附記)之を欧州に参考するに、君主法案の成議を拒むの権を論ずる者其の説一に非ず。英国に於ては此れを以て君主の立法権に属し三体(君主及上院下院を云う)平衡の兆証とし仏国の学者は此れを以て行政の立法に対する節制の権とす。

 抑々彼の所謂拒否の権は消極を以て主義とし法を立つる者は議会にして之を拒否する者は君主たり。此れ或は君主の大権を以て行政の一偏に限局し(フランス)或は君主をして立法の一部分を占領せしむる(イギリス)の論理に出る者に過ぎず。

 我が憲法は法律は必ず王命に由るの積極主義を取る者なり。故に裁可に依て始めて法律を成す。夫れ唯(ただ)王命に由る故に従て裁可せざるの権あり此れ彼の拒否の権と其の跡相似以て其の実は霄壌(しょうぞう)の別(空と地ほどの差異)ある者なり。

 播磨風土記、「大法山(おおのりやま)今の名は部の岡勝、品太(ほむだ)の天皇(すめらみこと)、この山に大法(おおのり)を宣(の)り給いき。故(かれ)、大法山という。」


 交詢社の私考憲法草案の規定する天皇の拒否権はイギリス直系であるのに対して、帝国憲法の規定する天皇の拒否権は応神天皇の故事より復元した「法律王命主義」に則しており、私考憲法草案より日本的に改良されたものといえよう。

 天皇は帝国議会衆貴両院の協賛(過半数の同意)をもって立法権を行使するがゆえに、帝国議会の否決に遭えば法律を制定できない(第5条、第37条)。帝国議会は法案を可決し天皇の裁可を経て法律を制定できるが故に、天皇の拒否権に遭えば法律を制定できない(第5条、第6条、第37条、第38条)。これが国家元首たる君主と立法機関たる議会との間に生じる権力の相互抑制効果であり、権力の均衡状態である。

 帝国憲法の下では公選議院が、大政翼賛会に譬えられる小沢民主党のごとき反日左翼的政党に制圧されたとしても、一党独裁政治は成立しないのである。
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左翼リベラル護憲派のアイドル鈴木安蔵の旧著「憲法制定とロエスレル」-帝国憲法下の信教の自由と賀川豊彦

 帝国憲法は我が国の政治の最高規範であり国民が永遠に遵奉すべき不滅の根本法である。しからば帝国憲法は如何なる根本精神をもって、如何なる経緯を経て起草・発布されたのであろうか。

 近来帝国憲法の制定過程に関する研究は漸次精緻を加え来たったのであるが、かかる研究自体の重要性に比すれば、その研究成果はなお極めて微小なりとせねばならぬ。憲法起草の社会的政治的根拠・背景、その起草前史の諸準備・先行諸事情についての分析においても我が憲法史学界は漸く学的研究の緒についたのみであり、憲法起草着手後の内的経緯については、殆どなお未開拓の感がある。

 私はこれら一切の事情、経緯を明らかにすることは、日本憲法史そのものの闡明のために不可欠であり、また憲法の正しき解釈の上に必要なるのみならず、起草関係者の苦心精励の跡を辿り、その刻苦献身の業績を顧みることは、我が帝国憲法制定が如何に周到にして綿密なる努力、注意、準備をもってなされたものであるか、関係者が如何に国家永遠の運命を慮って調査・研究に万遺憾なきを期したかを国民に知らしむるために極めて有益であって、かくしてまた欽定憲法の権威益々深く国民の胸裡に根ざすにいたるべきを確信する。


 以上の文章は、憲法制定とロエスレル―日本憲法諸原案の起草経緯と其の根本精神(鈴木安蔵著/東洋経済新報社出版1942年1月初版発行)の冒頭に著者の鈴木自身が記した序文である。

 尾崎秀実を反戦平和運動家として美化する左翼勢力の歴史偽造活動は、尾崎自身の戦時評論によって粉砕される。鈴木安蔵を日本国憲法の父として称揚し、日本国憲法を美化するために帝国憲法を中傷する左翼勢力の歴史偽造活動と護憲運動は、鈴木安蔵が「憲法制定とロエスレル」に掲載した憲法資料と鈴木自身の帝国憲法論によって粉砕される。

 だから第一次資料集や我が国の敗戦前に出版された書籍は面白くて堪らないのである。続きを読む
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2014年03月03日

近代日本民主主義の起源「五箇条の御誓文」と帝国憲法下の帝国議会の権限

 かつて駐日アメリカ大使として来任したライシャワーは、「終戦後始めて日本がデモクラシーを採用したものである」という日本人の説を「とんでもない誤解だ」といって否定したという。

 葦津珍彦氏の話によると、かつてある座談会で、日本の学者が「デモクラシーは日本では精々十五、六年来のものだから仲々うまくかない」と述べたところ、ライシャワーが「とんでもない、デモクラシーは日本では百年来のものですよ」と反論したという。

 日本の近現代史に精通する知日派のアメリカ人にとって、昭和天皇がGHQの了承を得て「新日本建設の詔書」に加えられた明治天皇の五箇条の御誓文が近代日本のデモクラシーの起源であった

 明治天皇が発布された帝国憲法の第5条と第37条が五箇条の御誓文の一つ「広く会議を興し万機公論に決すべし」を具現化する条項である続きを読む
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衆院任期満了後の国会が大ピンチ!占領憲法の深刻な欠陥と帝国憲法起草の原則「伸縮自在フレキシビリティー

 産経新聞に大日本帝国憲法とマッカーサー占領憲法(日本国憲法)の差異を指摘する興味深い記事が出ていた。続きを読む
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犬と日本人は朝鮮半島に入るべからず-新無効論と平和主義

 占領憲法第9条の改正もしくは占領憲法の無効・帝国憲法の復元が、直ちに徴兵制を復活させるはずがない。国民が負う国防義務あるいは兵役義務の具体的内容は法律によって定められるからである。

 だから徴兵制の復活には、徴兵制を復活させるための兵役法が議会の承認を経なければならない。徴兵制度は国民の身体と時間を拘束し人生を左右するものだから、そのための兵役法が議会の承認を経るには、有権者の広汎な支持が必要である。

 もし徴兵制度を復活させる兵役法が有権者の広範な支持を獲得できる場合は、日本国民の国防意欲はスイスレベルにまで回復しているのだから、徴兵制の復活は特に問題ない。

 さらに徴兵制の復活は戦争の開始に直結しない。我が国が軍備を拡張し戦争を遂行するには議会に必要な予算を認めてもらわないといけない。

 事前にしろ事後にしろ議会が必要な軍事費を認めない限り、徴兵制があろうが統帥権の独立があろうが、政府と軍部は軍拡と戦争を行うことができない。

 だから日清戦争後の軍備拡張計画に対し、伊藤博文が議会の反対を理由に地租増徴に消極的になったとき、山県有朋は帝国憲法の一時停止を口走ったのである。

 「議院がやかましく言うならば憲法を中止してもやらねばならぬ。それは何でもない事だ、国あっての憲法である。国が潰れたら憲法は要らぬ、その遣り方は陛下が伊勢の大廟に行幸あらせられ、一時憲法の中止を御奏告あって、それから地租増徴をやる」

 もちろん帝国憲法は停止されなかったが、かくも「新に租税を課し税率を変更するは(第5条および第37条に因り議会の協賛を経なければならない)法律をもって之を定むべし」をはじめ帝国憲法第6章が帝国議会に与えた権限は強大であった。

 「会計は国家の歳出歳入を整理する所の行政の要部にして、臣民の生計と密切の関連を為す者なり。故に憲法は殊に之を慎重して、帝国議会の協賛(承認、同意、賛同)及監督の権限を明確にす」(伊藤博文著憲法義解)

 それなのに左翼護憲派が「民選議会の承認」という立憲民主的な手続きの存在を無視して「占領憲法9条の改正は徴兵制を復活させ国民を戦争に巻き込む」などと喧伝し国民を脅迫するのは、彼らが一党独裁を志向する赤色全体主義者であり、内心では立憲議会制デモクラシーを否定しているのからである。だから左翼護憲派は論敵を詰る際に、ポロリと本音をもらすのである。

 彼らは立憲君主制自由主義議会制デモクラシーを破壊するために占領憲法第9条および議会制デモクラシーを悪用しているのである。彼らは議会を利用して一党独裁を成し遂げた国家社会主義ドイツ労働者党のヒトラーと本質的に変わらない。続きを読む
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2014年03月02日

昭和天皇と憲法改正-天皇の発言と憲法の効力

 違憲行為が天皇の裁可と「朕これを深くよろこぶ」という勅語を得て有効になるなら、天皇はあらゆる違憲行為を犯すことができる。天皇が自分勝手に法律案を作成し、議会の協賛と国務大臣の副署を得ないまま、法律案を裁可公布して「朕これを深くよろこぶ」と宣言すれば、この違憲立法(帝国憲法第4条、第5条、第37条、第55条違反)は有効になり、我が国は立憲君主制議会制デモクラシー国家ではなくなってしまう。

 GHQが国際法と帝国憲法を蹂躙して(帝国憲法勅語、憲法73条および75条違反-詳細は占領憲法の正體)我が国に強要した占領憲法に、昭和天皇の裁可と「朕深くよろこび」という勅語があることを根拠とする占領憲法有効論は、天皇は憲法に拘束されないという上杉慎吉流の「天皇主権説」であり、立憲主義を否定する暴論である。しかもこの有効論は尊皇を装いながら実際は帝国憲法と昭和天皇を侮辱している。

 帝国憲法は立憲君主制を明示していて、天皇が憲法から離脱して統治の大権を行使することを厳禁している(帝国憲法告文、憲法発布勅語、憲法義解第3条、第4条、第55条、第73条、第76条解説)。そして戦前の昭和天皇は内閣の交代ごとに総理大臣に「憲法の遵守」を求められ、また御自身が率先して帝国憲法を遵守し臣下に範を垂れて来られた。

 ポツダム宣言を蹂躙した占領軍の監視と脅迫の下にあった昭和天皇の苦境を考慮せずに占領憲法公布勅語を額面通りに受け取る占領憲法有効論者は、昭和天皇が国際法違反行為と帝国憲法違反行為を深く喜ばれたと言うのである。それは、我が国の降伏後も変わらなかった昭和天皇の帝国憲法遵守の姿勢は臣民を欺く擬態であったと言うに等しい。これほど帝国憲法と昭和天皇を侮辱する憲法論はない。

 昭和20年9月25日、昭和天皇はアメリカの記者の質問に答えて、英国のような立憲君主国がよいと答えられ、更に「立憲的手続を通じて表明された国民の総意に従い、その線に沿って必要な変更が実行されることを衷心より希望する」と仰せられたという(昭和20年9月29日付朝日新聞)。

 当時すでに占領軍は検閲を開始していたとはいうものの、未だ日本国憲法の制定を企図しておらず、日本人は憲法の改正に関して比較的自由に発言することができた。だから上の発言は昭和天皇の御本心に近いものといっても良いだろう。やはり昭和天皇は憲法改正の立憲的手続-適法過程を重んじておられたのである。

 だから違憲の占領憲法の無効を宣言して帝国憲法を復元し帝国憲法の改正手続に従って必要な改正を行うことこそが真正の尊皇である。そして我が国を英国風の立憲君主国にするには、帝国憲法第49条の議員上奏権を活用して議院内閣制を実現し(現代日本に甦る美濃部達吉の遺言-立憲議院内閣制の理想型)、天皇の統帥大権を内閣の輔弼事項に加えるか総理大臣への委任事項にすれば良いのである。続きを読む
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天皇の神聖不可侵とは何か 伊藤博文憲法義解第三条解説の伊東巳代治英訳文

 里見岸雄は「天皇とは何か-憲法・歴史・国体」第一章の中で帝国憲法第三条神聖不可侵の無答責の原則を次のように解説している。

 欧州各国の憲法で「神聖」(註、1809スウェーデン憲法、1814ノルウェー憲法、1818バイエルン憲法、1826ポルトガル憲法、1848イタリア憲法、1848ハンガリー憲法、1849デンマーク憲法、1867オーストリア憲法、1876スペイン憲法、1906年ロシア憲法)というのは、英語でホーリー、ドイツ語でいえばハインリッヒというような文字であるが、ホーリー(holly)というのは、完全とか全体とか十分とかいいう意味のホール(whole)と同じ字で、「国王はホーリー」であるというのは、「国王は害せられないもの」「国王は汚されないもの」という意味である。「人力以上の」「神様の」(divine)などということではない。「国王は神様である」などという馬鹿馬鹿しいことを近代国家が書くはずがないではないか。日本の帝国憲法が「天皇は神聖にして」というのでも同じわけである。

 里見の指摘は半分正しく半分間違いである続きを読む
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2014年02月28日

君民一体の統治は縹縷 (はなだのる)帝国憲法第73条解説

 筆者が思うに、フランス暴力革命のイデオロギーであるルソーの「主権在民」より「君民一体」の方が真実に目覚めた日本人の琴線に触れる。続きを読む
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天皇主権という幻想 帝国憲法第55条2項解説

 1935年に美濃部達吉の天皇機関説が非難され、美濃部は東大を追われたが、この機関説事件は帝国憲法の解釈と運用に何ら変更を加えなかった。

 昭和20年8月14日深夜から翌日未明にかけて陸軍省軍務局軍務課軍事課の少壮革新将校が近衛師団長の森赴中将を殺害し、偽命令を発して近衛師団を動かし、玉音放送録音盤を奪取、天皇を宮中に監禁しようとした継戦「宮城クーデター」未遂事件を起こした。これは有名な史実であるが、事件の直前に少壮将校が阿南陸相に合法的クーデターを唆したことは余り知られていない。

 8月14日、最高戦争指導会議を代表する鈴木貫太郎首相に聖断を仰がれた昭和天皇が再びポツダム宣言の受諾を決断されて御前会議が終了し、詔書案の決定と閣僚の副署を待つばかりとなっていた時、軍務課内務班長の竹下正彦中佐が阿南陸相のもとへ駆けつけ、陸相に「辞職して副署を拒みては如何」と進言した。

 昭和天皇の聖断が国家意思として確定するためには詔書に全閣僚が副署する必要があったからである。しかし阿南陸相は辛うじて辞職を思いとどまり、かくして翌日に一般国民は玉音放送を拝聴することができたのである。

 もし阿南陸相が辞職し、陸軍が軍部大臣現役武官制度を利用し後任陸相を出さなかったら…我が国は恐るべき最悪の混乱状態に陥ったのではなかろうか。

 我が国を滅亡の淵から救い出すための非常の緊急措置であった昭和天皇の聖断ですらも、国務大臣の副署(同意)がなければ、我が国の国家意思として有効にはならない。これが帝国憲法の真髄である。

 八木秀次氏の明治憲法の思想―日本の国柄とは何かの読者の中に「明治憲法を逸脱することでしか戦争を終わらせられなかったことに目を向けなければならない」と述べている方がいるが、これは正しくない。

 鈴木首相が昭和天皇に聖断を仰いだことは「ポツダム宣言受諾の可否は昭和天皇自身によって決定されるべきである」という助言に他ならないからである。そしてこの御聖断は国務大臣の副署を得てようやく我が国の国家意思となったのだから、天皇、政府、軍部はあくまで帝国憲法の規定に従いポツダム宣言を受諾し、我が国は連合国に降伏したのである。続きを読む
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大日本帝国憲法の制定を支えたアメリカ合衆国建国の父たち 伊藤博文の座右の憲法学書はザ・フェデラリスト

 金子堅太郎、井上毅、伊東巳代治を指揮して帝国憲法を起草した伊藤博文の愛読書は、明治三年に政況および財政調査のためにアメリカを訪問した伊藤に、当時のアメリカ国務大臣フィッシュが贈与したアメリカ合衆国憲法のコメンタリー(解釈書)ザ・フェデラリスト(一七八七年刊行)であった。

 伊藤博文は明治三年以来、このアメリカの古典的名著に依拠して憲法を研究し、彼ら四人が帝国憲法原案を起草していた時はもとより、明治二十一年から始まった枢密院帝国憲法制定会議の際にも、伊藤はフェデラリストを常に自分の座右に置いて何か問題が生じる度にこれを繰り返し読み、帝国憲法の制定に尽力したのであった(金子堅太郎著憲法制定と欧米人の評論)

 帝国憲法の精緻な権力均衡分立主義と、デモクラシーの暴走と諸悪から国家を救済する帝国議会二院制は、アメリカの立憲議会制デモクラシーの起源であるフェデラリストの著者たち即ちアメリカ合衆国憲法の制定に尽力したアレクサンダー・ハミルントン、ジョン・ジェイ、ジェイムズ・マディソンの思想を受け継いだものであり、金子堅太郎から帝国憲法のコメンタリー憲法義解の英訳を贈られたマサチューセッツ州の大審院判事オリバー・ウェンデル・ホームズ(元ハーバード大学教授、金子堅太郎の師)は帝国憲法を次のように評したのである。続きを読む
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2014年02月26日

日本赤軍の創設(笑)徴兵制度を国民に強制する者は左翼全体主義者 帝国憲法復元改正と新兵役法

 筆者は、帝国憲法第20条を改正することなく、憲法改正の是非を巡る議論に必ず登場する徴兵制の問題を簡単に解決できる。

 帝国憲法第20条「日本臣民は法律の定むる所に従い兵役の義務を有す」

 日本国民が負う兵役義務の内容は、帝国議会の承認を経なければならない法律によって決定され、議会の承認を必要としない勅令(行政命令)によっては変更されない。あくまで国民の代表である帝国議会が法律をもって兵役義務の内容を決定するのである。兵役義務の内容は伸縮自在である。

 だから国民の大半が蛇蠍のごとく徴兵制を嫌悪するならば、議会はアメリカと同様に日本国の徴兵制を休眠させる兵役法を可決するだろう。例えば以下のようなものである。

<新兵役法>

一、兵役義務 日本国民は、満20歳の誕生日の前後2ヵ月の間に、国防省○●局に出頭して、常に憲法を誠実に遵守し日本国の危機に際しては自己の最善の努力を尽くして日本国の独立と生存と光栄を守ることを宣誓し、国防省が発行する軍人操典と民間防衛を受領しなければならない。

二、罰則規定 特別の事情が無い限り、前条の兵役義務を履行しない日本国民は参政権を行使できない。


 スイス版のコピーである軍人操典と民間防衛―あらゆる危険から身をまもるを受領しても読解しない不届きな国民がいるかもしれないので、兵役法第一条に「国防省○●局に出頭して、初音ミクが解説する民間防衛の動画を視聴しなければならない」を追加してもいいだろう。これで現代日本国民の兵役義務は十分である。続きを読む
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2014年02月18日

帝国憲法は絶対天皇制を定めていない

 朝日新聞社がA級戦犯という汚名を着せられた日本人の責任を執拗に追及するのは、自分の責任を他者に転嫁するためには死体に鞭打つことも辞さない支那人になりきっているからである、身も心も。

 アサピーは本当にバカだ!続きを読む
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2014年02月09日

環境権と憲法改正 憲法義解大日本帝國第二十条解説改正案

 改憲派の国民は、改憲に賛成する理由として憲法が時代に合わなくなってきたことを挙げる。彼らは憲法を改正して環境権を盛り込むべきであると主張する。自公主導の憲法改正作業は危険だと憂いている。

 しかし筆者は環境権には反対する。環境権は国民がこれを行使しなくても良いものだから、国民一人一人に崇高な環境保全の義務感を抱かせない。だから環境権は環境保全にはそれほど役立たず、おそらく反戦平和団体を詐称するプロ市民左翼が階級闘争の代替物である裁判闘争の手段として環境権を悪用し政府の国防国策を妨害するであろう。

 だから筆者ならば、帝国憲法改正試案第二十条二項に「日本国民は法律の定める所に従い環境保全の義務を有す」という一文を加え、憲法義解に次のような第二十条二項解説を加える。続きを読む
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日の丸君が代に反対する本心の自由を守ろう!

 春の名物となった日教組の日の丸君が代反対運動。戦後、彼らは、日本人でありながら日本の象徴を糾弾できる自省心に満ち溢れた反戦平和主義者、正義道徳の守護者として振る舞い、朝日新聞および日弁連から拍手喝采を浴び、懸命に戦後民主主義を守り続けてきた。
 
 しかし最近では、卒業式の到来とともに重度の精神疾患が彼らを悩ませるらしい。続きを読む
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2014年01月31日

応神天皇の遺業と日本の国柄 帝国憲法第六条の法律王命主義

 まともな人間は、自分と他人が交わした重要な約束が他人にアッサリと破られるに至る時、あるいは怒り、あるいは悲しみ、深く信頼する他人に約束を破られた場合には、急性アノミーに陥るかもしれない。

 何故かと言えば、我々は、無意識の内に、「約束とは誠実に守られなければならないもの」と確信しているからに他ならない。これは、社会の常識であり、人間の最低限度の道徳倫理感であるといってもよい。

 だから平気で約束を破る中国人や南北朝鮮人は、彼らの真実を知るネット日本国民に嫌悪され、人間のクズとして非難されるのである。

 「約束とは、誠実に守られなければならないもの」という社会の常識は、国際法では、「パクタ・スント・セルバンダ(合意は遵守せらるべし)」といい、国際法上の大原則である。しかし歴史家がいくら歴史を遡っても、この大原則は、いつ、どこで、誰によって決められたものなのか、突き止めることができない。それほど古く遠い時代に確立された慣習法が「合意は遵守せらるべし」という原則なのである。

 つまり現代の人間は、はるかなる太古の人間社会に生まれた慣習に縛られているおかげで、何とか社会秩序を形成し、まともな日常生活を送ることができるのである。

 「過去の縛りは可能な限りなくしていくのが時代の流れなのです。何も変えなければ進化はとまり、やがて時代の流れに取り残されることになるでしょう。」などという左翼の進歩的主張は、ルソーの企みどおり、現代社会を、太古の時代以前の野蛮な社会に後退させ、人間を動物化せよと言うに等しい。

 だから小室直樹博士は、進歩的文化人を「退嬰的野蛮人」と非難するのである

 慣習法とは、社会に生まれた慣習にして、社会構成員によって、彼らの正しいとの信念の下に繰り返し行われ、遵守すべき規範(ルール)として確信されるに至った慣習である。

 国際法は、国際慣習法(黙示の合意)と国家間で締結される条約(明示の合意)とで構成され、立憲議会制デモクラシー国の国内法は、国内慣習法と議会で承認される成文法とで構成されるといってよいだろう。続きを読む
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2014年01月30日

法律の不備を防ぐ帝国憲法第九条

 堀江貴文のライブドアや、村上世彰の村上ファンドといった日本のハイエナどもが時代の寵児となり、同類の起業家から神と崇拝されている。

 彼らは、商法の盲点を突く阿漕なマネーゲームを繰り広げ、他の優良企業の富を啄ばんでいるが、帝国憲法は脱法行為に対処するための措置を講じていた。

 それは大日本帝国憲法第九条である。

第九条 天皇は法律を執行する為に又は公共の安寧秩序を保持し及臣民の幸福を増進する為に必要なる命令を発し又は発せしむ 但し命令を以て法律を変更することを得す

 恭て按するに、本条は行政命令の大権を掲ぐるなり。蓋し法律は議会の協賛を経。而して命令は専ら天皇の裁定に出づ。命令に由て発する所の目的二あり。一に曰く、法律を執行する為の処分併に詳節を規定す。

 二に曰く、公共の安寧秩序を保持し及臣民の幸福を増進する為の必要に於てす。此れ皆至尊行政の大権に依り立法の軌轍に由らずして一般遵由の条規を設くることを得る者なり。

 蓋し法律と命令とは均しく臣民に遵守し義務を負わしむる者なり。但し法律は以て命令を変更することを得べく、命令は以て法律を変更することを得ず。若し両々相矛盾するの事あるに至れば法律は常に命令の上に効力を有すべきなり。

 命令は均しく至尊の大権に由る。而して其の勅裁に出て親署を経る者、之を勅令とす。其の他、閣省の命令は皆天皇大権の委任に由る。本条に命令を発し又は発せしむと謂えるは此の両般の命令を兼ねて之を指言するなり。
 
 前条に掲げたる緊急命令は以て法律に代わることを得。本条に掲ぐる行政命令は、以て法律の範囲の内に処分し又は法律の昿闕(空欠?法律の穴、盲点)を補充することを得るも、法律を変更し及び憲法に特に掲げて法律を要する所の事件を規定することを得ず。行政命令は常に用いる所にして緊急命令は変に処する処なり。

 (附記)之を欧州に参考するに、命令の区域を論ずる者其の主義一ならず。

 第一に、仏国白国(白耳義ベルギー)の憲法は命令の区域を以て専ら法律を執行するに止め、而して普国(プロイセン)の憲法亦之に模倣したるは、君主行政の大権を狭局の範囲の内に制限するの謬見たることを免れず。

 蓋し所謂行政は固より法律の条則を執行するに止まらず。

 何となれば法律は、普通準縄の為に其の大則を定むるの能力ありて、而して万殊事物の活動に対し逐一に其の権宜を指示すること能わざるは、宛(あたか)も一個人の予定せる心志は以て行動の方向を指導すべしと雖も、変化窮まりなきの事緒に順応して其の機宜を愆(あやまら)らざるは又臨時の思慮を要するが如し。

 若し行政にして法律を執行するの限閾に止まらしめば、国家は法律の昿闕なる地に於ては其の当然の職を尽すに由なからむとす。故に命令は独り執行の作用に止まらずして又時宜の必要に応じ其の固有の意思を発動することある者なり。

 第二に、法理を論ずる者安寧秩序を保持するを以て行政命令の唯一の目的とする者あるは此れ亦行政の区域を定むるに適当なる釈義を缺く者なり。

 蓋し古欧陸各国政府は安寧を保持するを以て最大職任とし其の内治に於けるは一に苟簡を以て主となしたりしに、人文漸く開け政治益々進むに及んで始めて経済及教育の方法に倚り人民の生活及び智識を発達せしめ其の幸福を増進するの必要を発見するに至れり。故に行政命令の目的は、独り警察の消極手段に止まらずして更に一歩を進め、経済上国民の生活を富殖し教育上其の智識を開発するの積極手段を取ることを務めざるべからざるなり。

 但し行政は固より各人の法律上の自由を干すべからず。其の適当なる範囲に於て勤導扶掖して其の発達を喚起すべきなり。

 行政は固より法律の既に制定せる限界を離れずして法律を保護し以て国家の職を当然の区域の内に尽くすべきなり。」


 伊藤博文の帝国憲法義解第九条の解説が詳述するように、帝国憲法は、法治主義を犯さず、立憲主義に基づきつつ、法律の盲点を防ぐための臨機応変迅速果敢な権能を行政に与えていたのである。

 帝国憲法下であれば、行政は、日本の法制度の盲点を突く悪辣な外資のハゲタカどもの脱法行為から、我が国に軍事的優位と経済的発展をもたらしてくれる日本の優秀な製造業を防衛し得るであろう。続きを読む
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自民党の護憲的改憲案から漂う腐臭-帝国憲法第28条があれば政教分離は不要(2008.1.10投稿記事)

 我々が「我が国」「国を愛する」「憂国の戦士」「国防」と書いたり述べたりする時、無意識の内に「国」のことを国民や領土で構成される共同体と考えている。

 だから自民党の新憲法草案20条3項「国および公共団体は、社会的儀礼の範囲内にある場合を除き、宗教教育その他の宗教的活動をしてはならない」は、国の一員である一般国民が宗教的活動を実施してはならないのか、この条項は信教の自由、表現の自由を侵害するのではないか、との読者の誤解を招く。

 自民党が誤解を解消するために、20条の「国」とは政府や議会などの国家権力(公権力)に携わる者と解説すれば、一般国民も、新憲法草案を作成した自民党議員や、何か事あるごとに「国の責任」を追及するプロ市民左翼団体や反日マスゴミと同じく、国(国家)と公権力とを混同し、国を愛し守ることに違和感を覚えてしまう。

 東京裁判において、我が国の公教育を難詰する連合国検察官に対する清瀬一郎弁護人の弁明によれば、日本の公立学校制度は1872年にアメリカの組織に倣って立てたもので、国民道徳の大本は、我が国古来の美風を経(たていと)とし、支那の儒学を緯(よこいと)とし、これに配するに西洋道徳の粋を以てしたものであるという。

 筆者が思うに、渋沢栄一の論語講義は大変面白く、道徳教育のテキストとして最適である。もし公立学校の志ある教師が渋沢栄一の言を借りて儒教は宗教ではないと主張し、論語講義を道徳の授業に持ち込めば、儒教は憲法20条の宗教に相当するのか、そもそも宗教とは何か、また社会的儀礼の範囲はどの程度の幅を持つのか、宗教的活動が社会的儀礼の範囲内にある場合とない場合の線引きはどのような基準で行われるのか、などという不毛な論争が巻き起こり、議論は延々と続いて決着を見ないであろう。宗教の法的定義は侵略戦争の法的定義と同じく確立の困難なものだからである。

 我が国の反日左翼勢力はそこに付け込み、政治家の靖国神社参拝や皇室関連行事に対する税金の支出は社会的儀礼の範囲内を逸脱した宗教的活動であり、憲法違反であると国内外に檄を飛ばし、違憲訴訟を起こすであろう。

 かくして国論は二分され、我が国は思想的内戦状態に陥り、上下朝野こころを一にして日本の抱える内憂外患に立ち向かうことができず、特定アジアに漁夫の利を与えてしまうのである。

 現在行われている靖国神社の参拝を巡る不毛な憲法論争自体、反日的日本人を背後で操る支那と朝鮮の思うツボであり、占領憲法の政教分離条項が彼らに日本国内を撹乱する絶好の機会を与えているのである。続きを読む
posted by 森羅万象の歴史家 at 21:00| 大日本帝国憲法の真髄 | 更新情報をチェックする