2016年08月08日

忘れてはいけない明治天皇へのグラント将軍の助言−井上毅の漸進主義

 アメリカ南北戦争で勇名を馳せて北軍総司令官となり、戦後には大統領(第18代)を二期務めたユリシーズ・シンプソン・グラント将軍は、1877年5月から世界漫遊の旅にのぼり、1879年(明治12年)6月、長崎に到着し、我が国の朝野から大歓迎を受けた。同年8月10日、明治天皇は浜離宮の中島の茶屋にグラント将軍を招き、議会・政治・外債・琉球問題・条約改正・教育問題等について将軍の忌憚のない意見を求められた。続きを読む
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2016年06月13日

戦時下の信仰の自由を示す日本とバチカンの関係

 所長は、「国民のための大東亜戦争正統抄史78鈴木内閣の失策」を以下のように加筆修正しました。続きを読む
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2016年03月28日

日中和平工作に従事した朝日新聞人(神尾茂と美土路昌一)の活躍

 朝日新聞社の戦争煽動報道をひたすら強調し糾弾することは余りに不公正である。筆者はそのことを深く反省しわーい(嬉しい顔)国民のための大東亜戦争正統抄史21〜24汪兆銘工作の謀略的意義の22、永久抗争を次のように加筆修正しました。続きを読む
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2016年03月07日

大政翼賛会と対決した第七十六回帝国議会−憲法義解を援用した川崎克代議士

 宮沢俊義と芦部信喜の虚偽憲法学を鵜呑みにしたまま老人となった東大法学部卒業の政治家、官僚、学者、弁護士、知識人、マスコミ関係者の中には、敗戦前の我が日本国は民主主義を知らなかったとか、立憲議会制デモクラシー国でなかったと公言して憚らない者がいます。

 また大政翼賛会の成立が日本の議会制デモクラシーを終わらせたと思い込んでいる者や、我が国の戦時体制を国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の一党独裁と同じ「ファシズム」の範疇に入れてしまう者が後を絶ちません。続きを読む
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2016年01月19日

斎藤隆夫代議士の議会演説「支那事変処理に関する質問演説(昭和15年2月2日)」の読み方

 筆者は、1995年に中村粲の「大東亜戦争への道」を購読したものの中村史観に全く納得できなかった。そこで小学3年生から歴オタの筆者は自分で戦史の調査を開始し、1997年末か98年初めに晩年の岸信介に大きな衝撃を与えた戦争と共産主義−昭和政治秘史(三田村武夫著/民主制度普及会、1950年初版発行)の復刻版「大東亜戦争とスターリンの謀略」(自由選書)を入手して、ようやく中村史観に納得できなかった自分に納得でき、支那事変長期化の真因が第一次近衛声明に連動した汪兆銘政権樹立工作であったことを理解できた。続きを読む
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2015年08月28日

日本憲政史上もっとも凶悪な内閣総理大臣(近衛文麿)を非難しない究極の愚行


 中川八洋教授は昭和20年2月14日の近衛上奏文を次のように批評している。

「近衛文麿が対英米戦争主義者でなかったかのような偽イメージ、あるいは近衛文麿がマルクス主義者でなかったかのような偽イメージをつくる、近衛自身による自己演技の最たるものがあの有名な近衛上奏文であろう。それは日中戦争と日米戦争の八年戦争のすべての責任を軍部に転嫁するに絶妙で華麗な演技の典型であった。

 この上奏文をもって近衛文麿が従前から英米に対する戦争の回避論者であったと、その証拠としてあげるものが多いが、それは余りにも短絡的である。また読解力に欠陥ありといわざるをえない。一九三七年六月の総理大臣就任以降の、近衛文麿の言葉ではなくその行動と明らかに矛盾する解釈であり、歴史の偽造をさらに増幅する歪曲である。政治家の評価・分析は、その言葉ではなくその行動でなすものであって、その逆は学問ではない。

 近衛上奏文は、日本の八年戦争とは日本の共産化を目的として共産主義者(マルクス主義者、社会主義者)たちによって遂行されてきたこと、一九四四年頃からのスローガン一億玉砕はレーニンの敗戦革命論に従った、共産革命がし易い荒廃した日本社会をつくるためのものであること、陸士・陸大の秀才組のある部分がソ連軍を日本に導入しての日本の共産化を策謀していること、などの最も深刻な諸状況について最も正確に鋭く核心を衝く省察をなしている。

 が同時に、この近衛の指摘は、マルクス主義にかぶれた陸士・陸大卒の赤い軍人たちに対英米戦とその継戦の動きのすべての責任を転嫁する狙いであるのは誰しも一読すれば理解できよう。」(近衛文麿とルーズベルト大東亜戦争の真実76、81頁)


 近衛上奏文および近衛文麿に対する中川教授の評価が正しいことは、以下の大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌(軍事史学会編/錦正社、1998年)昭和20年6月25日の条によって証明される。続きを読む
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2015年07月27日

朝日新聞社の軍部暴走史観を打ち砕く近衛首相の施政方針演説(大阪朝日新聞1938.1.23)

 朝日新聞社とその同類の反日左翼勢力は、大東亜戦争批判から近衛文麿のブレーントラスト「昭和研究会」に結集していた朝日出身のソ連スパイ尾崎秀実ら共産主義者とマルクス・レーニン主義およびコミンテルンのテーゼ(28年、32年、35年)を救い出すために、支那事変の拡大長期化の原因を軍部の暴走に転嫁する。

 しかしこれが歴史の偽造であることは、昭和13年1月22日の第七十三回帝国議会における近衛文麿首相の施政方針演説を掲載した翌日の大阪朝日新聞によって証明される。続きを読む
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きのうの衆議院本会議(大阪毎日新聞 1937.8.5)

 もし今なお大日本帝国憲法が反デモクラシーの憲法で、ポツダム宣言受諾以前の我が日本国が立憲議会制デモクラシー国ではなかったと信じている憲法学徒が日本国内に現存するならば、ぜひとも「特別税法案委員附託 関税定率改正等可決 きのうの衆議院本会議」(大阪毎日新聞1937.8.5)を読んでほしい。

 日本国民は必ずや中国共産党の洗脳術(撫順戦犯収容所)を用いたWGIP(日本人を狂わせた洗脳工作−いまなお続く占領軍の心理作戦)とこれを相続し強化し継続している戦後民主主義狂育の洗脳効果−軍国主義史観(軍部暴走史観)から脱却できるはずである。続きを読む
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2015年05月04日

民主党と社民党は戦後のドイツを見習え!国民の自由を制限するドイツ連邦共和国憲法

 我が国の反日左翼勢力は、彼らと敵対する尊皇護国保守反共勢力に対して事あるごとに国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)を非合法化している「戦後のドイツを見習え!」と喚く。

 ならば自民党は彼らの要求に応えて改憲案にドイツ連邦共和国憲法の第9条、第17a条2項、第18条、第21条に加えるべきである。そうすれば反日左翼勢力は「自民党は治安維持法を憲法条項化しようとしている!」と悲鳴に似た非難の声を上げ、馬脚を現すに違いない。続きを読む
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ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)と戦前の大日本帝國を同列に並べる愚人たちを滅ぼす1941年2月6日貴族院予算員会の大政翼賛会違憲論

 1941年1月21日から再開された第七十六回帝國議会では、政党を喪失した衆議院代議士と、貴族院議員が大政翼賛会に激しい非難を浴びせ、近衛文麿内閣総理大臣を追及した

 とくに大政翼賛会の一党独裁運動すなわち近衛新体制運動に止めを刺した2月6日の貴族院予算員会における岩田宙造議員(弁護士として、宮内省、日本銀行、日本郵船、東京海上火災、三菱銀行、日本勧業銀行各顧問を歴任後、1931年に貴族院議員に勅任される)の大政翼賛会違憲論と近衛文麿に対する追及質問(1941年2月6日貴族院予算委員会会議録−帝國議会会議録検索システム所収)は、我が国の立憲議会制民主政治史の白眉である。

 これを換言すれば、ワイマール憲法は国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の一党独裁を許してしまったが、大日本帝國憲法は国家社会主義ドイツ労働者党とソ連共産党を模倣した大政翼賛会の一党独裁を許さず、近衛新体制運動を推進した近衛文麿および近衛のブレーントラスト昭和研究会に結集していた朝日新聞社出身のソ連スパイ尾崎秀実ら国体の衣を着けた共産主義者の無法な野望を粉砕したのである。続きを読む
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2015年02月28日

我が日本国は東京裁判史観を受諾していない−サンフランシスコ講和条約第11条の正当なる解釈

 以下のサンフランシスコ講和(平和)条約第11条の邦訳は誤訳である。

 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の判決(英語ではthe judgements、スペイン語ではlas sentencias )を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。

 極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。」

 英語のjudgementは、法律用語として用いられる場合、日本語の「判決」を意味する。スペイン語のsentenciaは、判決または宣告された刑を意味し、「裁判」という意味を含まない。しかし外務省の邦訳文では、判決(the judgements)が裁判(trial)と誤訳されている。

 大原康男教授が、当時の外務省条約局課長であった藤崎万里氏に取材したところ、藤崎氏から「昔のことなので、なぜジャッジメントつまり判決の受諾が裁判の受諾になったか、自分も覚えていない」と言われたという(1)。

 支那事変の勃発後、朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実ら昭和研究会に参集していたソ連系の共産主義者によって実行された作為戦争謀略活動には、外務省から牛場信彦が参加していた(2) 。

 昭和13年(1938)7月26日、宇垣一成外相がイギリスに対支援助の中止と日支和平の仲介を要請するためにイギリス駐日大使クレーギーとの会談を開始したところ、牛場や甲斐文比古ら外務省少壮革新事務官8人が宇垣外相を訪問し、「今日、漢口攻略を目前に控え、帝国外交も、蒋介石政権の壊滅、防共枢軸の強化及び在華英、仏、ソの政治的勢力の排除のため断然たる措置に出すべき秋と思考するところ、最近の大臣関係大使との御交渉ぶりは、吾等の最も憂うところなりとす」と述べて、クレーギーとの会談の中止を迫り、独伊との関係強化を主張したが、宇垣外相に軽くあしらわれた(3)。ゾルゲ機関の諜報謀略網は外務省内部にも浸透していたことは疑いを容れない。

 昭和29年(1954)8月、警視庁は、アメリカに亡命中の元在日ソ連代表部書記官ユーリー・ラストボロフの供述に基づき、反共の闘士を演じていた外務省職員兼内閣調査室員の日暮信則のほか通産省、外務省職員2人を国家公務員法違反で逮捕し、日暮は東京地検4階で取調べ中に窓から投身自殺した。

 GHQによって治安・防諜能力を喪失させられた占領期の日本では、約8000人以上の日本人工作員がソ連に奉仕していたとも言われており、サンフランシスコ講和条約の発効前後、外務省には今日のチャイナスクール出身者の先輩に相当する革新官僚が蠢動していたであろうことは想像するに難くない。

 朝日新聞社や日教組ら日本の反日左翼勢力が反米主義者でありながらも戦時中のアメリカが抱懐していた特異な反日思想である所謂東京裁判史観を信奉する理由は、これがGHQ内部に潜入していたアメリカ共産主義者の階級闘争史観「日本の対内対外政策は犯罪的軍閥に依り支配せられ且つ指導せられたり。斯かる政策は重大なる世界的紛争および侵略戦争の原因たると共に平和愛好諸国民の利益並びに日本国民自身の利益の大なる毀損の原因をなせり」を含んでいるからである(4)。

 もしかすると外務省の革新官僚が連中と共謀し、日本国は国際社会に復帰する条件として東京裁判および東京裁判史観を合法な正当裁判および唯一絶対の真実として受け入れた、と日本国民および国民の代表である政治家に錯覚させ、反日左翼勢力が繰り広げている各種の反日運動に国際法上の根拠を与えようとして、悪質な誤訳を講和条約11条の邦訳文に挿入したのではないか、と勘ぐりたくなる。

 誤訳の背景に関する以上の考察は推測の域を出ないが、筆者が確信をもって断言できることは、この講和条約第11条は単なるアムネスティ(国際法上の大赦)の対日不適用条項に過ぎず、「南京事件の法的意味ですが、日本政府はサンフランシスコ講和条約で、東京裁判判決を受諾し、サインをしています。つまり、東京裁判の結論に政府として文句はいいませんという言質を取られているのです。日本政府の公式な立場としては、南京虐殺事件は、数の問題はべつとして、たしかに存在した、と確認しているわけです」という秦郁彦の主張は全くの見当違いであるということである。

(1)【大東亜戦争の総括】380p
(2)三田村武夫【大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義】263p
(3)額田坦【秘録宇垣一成】186p
(4)小堀桂一郎編【東京裁判日本の弁明】16〜19p「東京裁判検事起訴状」

<国際法上の大赦の意義>

 国際法上の大赦とは、講和条約の法的効果の一つであり、「戦争中に一方の交戦国の側に立って交戦法規違反行為を犯した全ての者に、他方の交戦国が責任の免除を認める」効果を持つ。つまり講和条約の締結と発効は、国際法上の交戦状態を終了させるだけでなく、同時に戦時中の交戦国の軍事行動である軍事裁判の判決をも失効させ、すべての戦争犯罪人を免責するのである。

 国際法史上有名なアムネスティ条項は、30年戦争を終結させた1648年のウェストファリア平和条約第2条である。そこには、戦乱が始まって以来、言葉、記述、暴虐、暴行、敵対行動、毀損、失費のかたちで行われたすべてのものにつき、「交戦諸国相互間で、永久の忘却、大赦ないし免罪があるべきものとする」と規定されている。

 このように、全てを水に流す「全面的忘却」の精神に基づくアムネスティ条項は、戦争によって煽動された国家間の憎悪を鎮め平和を回復するために必要とされ、17世紀から19世紀中に締結された数多くの講和条約の中に盛り込まれ、1918年3月3日のドイツ−ソ連条約の23〜27条や、同年5月7日のドイツルーマニア条約の31〜33条も一般的アムネスティ条項を構成している。

 以上の諸国家の慣行に基づき、第二次世界大戦前には、アムネスティ条項が講和条約中に設置されなくても、講和条約の発効それ自体がアムネスティ効果を持つということが、国際条約(明示の合意)と共に国際法を構成する国際慣習法(黙示の合意)−国際社会に生まれた慣習にして、複数の文明諸国家によって、彼らの正しいとの信念の下に繰り返し行われ、遵守すべき規範(ルール)として確信されるに至った慣習−として確立したのである(1)。

 従って本来ならば、昭和27年(1952)4月28日サンフランシスコ講和条約が発効した時点で、日本政府は所謂A級戦犯を裁いた東京裁判およびアジア太平洋地域の各地で開廷されたBC級戦犯裁判の判決の失効を宣言し、日本国内で服役している日本人戦犯を直ちに釈放し、且つ、外国で拘禁されている日本人戦犯の即時釈放を連合国に要求する国際法上の権利を有し、連合国はこれを承認する義務を有していたのである。

 しかしサンフランシスコ講和条約第11条はこの権利を日本に認めず、逆に我が国に対して、講和条約の発効後も、連合国が赦免するまで、日本国内で拘禁されている日本人戦犯に対する刑の執行の継続を義務づけたのである。その結果として講和条約が発効し、日本が独立を回復した後においても、巣鴨、モンテンルパ(フィリピン)、マヌス島(オーストラリア)で継続して1224名もの日本人および戦時中日本国籍を有していた朝鮮人および台湾人が戦犯として拘禁されたのである。

 要するに、サンフランシスコ講和条約第11条とは、日本政府による日本人戦犯に対する刑の執行の停止を阻止することを狙ったものに過ぎず、しかも、とうの昔に日本政府によって完全履行され、最後のBC級戦犯18名が関係各国の同意を得て出所を許された昭和33年(1958)5月30日に臨終を迎えた条項なのである(1)。

 イギリスの国際法家オッペンハイムが述べているように、戦勝国が講和条約中に戦敗国に対するアムネスティの不適用条項を設置することを禁止する規定は国際法に存在しない(2)。しかし戦時中に日本軍将兵および日本の戦争指導者を裁いた連合軍の軍事裁判は基本的に無法な復讐リンチ裁判であり、それらが下した有罪判決自体が著しく不公正であり、ほとんど冤罪であった以上、サンフランシスコ講和条約第11条は、連合国特にこの条項の起草と挿入を主導したアメリカとイギリスの執拗かつ陰湿な対日報復の延長であったと言わざるを得ないのである。

 実際、連合国内部では、この条項に対する反対論が噴出しており、1951年9月のサンフランシスコ講和会議では、駐米メキシコ大使ラファエル・コリナがメキシコを代表して、

「われわれは、できることなら、本条項が連合国の戦争犯罪裁判の結果を正当化しつづけることを避けたかった。あの裁判の結果は、法の諸原則と必ずしも調和せず、特に法なければ罪なく、法なければ罰なしという近代文明の最も重要な原則、世界の全文明諸国の刑法典に採用されている原則と調和しないと、われわれは信じる。」

と東京裁判を批判し、駐米アルゼンチン大使イポリト・ヘスス・パスも、

「この文書の条文は、大体において受諾し得るものではありますが、2、3の点に関し、わが代表団がいかなる解釈をもって調印するかという点、及びこの事が議事録に記載される事を要求する旨を明確に述べたいのであります。本条約第11条に述べられた法廷東京裁判に関しては、わが国の憲法は、何人といえども正当な法律上の手続きを踏まずに処罰されない事を規定しています。」

と語り、「正当な法手続きを踏まずに日本人指導者を処罰した東京裁判は、アルゼンチン憲法の精神に反している」として、東京裁判を間接的に批判したのである(1)。

 アルゼンチンは、カルボードラゴ主義を唱えてアメリカを動かし、1907年の第二回ハーグ平和会議において「契約上の債務回収のための武力行使を制限する条約」を実現させた。

 カルボーはアルゼンチンを代表する著名な国際法家で、ドラゴは同国の外務長官としてカルボーの学説を基に、1902年12月英独伊三国がベネズエラに武力を背景に債務不履行に関する賠償を請求したことに対して強硬な抗議を行った人物であり、カルボードラゴ主義の内容は、「厳格なる国際法上の権利としては、債務の回収及び私的要求の貫徹のためにする債権者所属政府の武力干渉は許されるべきでない。

 欧州諸国はその相互関係の上には常にその法則を守るのに、独り新世界の諸国に対する関係においてこれに則さないのは理解しがたい。欧州資本家は、南米に投資するに当たり投資対象地の国情を熟知するが故に、利子を高め条件を荷重し、全てのリスクを考慮した上で投資を行うのである。従って債務国において一時の都合から契約上の義務が履行されないからといって、資本家の政府が直ちに背後に立ち、武力を以て債務国に臨むのは断じて公正ではない」というものであった(3)。

 アルゼンチンは、1920年の国際連盟総会において選択条項という折衷案を出し現在の国際司法裁判所制度の基礎を作ったブラジルと共に、20世紀前半における国際法研究の大国であった。だからこそ彼の国は講和条約第11条の不当性をよく理解できたのである。そして大日本帝国の遺風が未だ失われていなかった講和条約の発効直後の日本国もまたメキシコ、アルゼンチンに負けず劣らず第11条の不当性をよく認識していた。続きを読む
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2015年01月07日

日本を愛したスタイン博士の遺言

 明治22年(1889年)7月21日、金子堅太郎は英訳の「憲法義解」数十部を携えて日本を出発し、欧米各国に向かった。金子は伊藤博文から、欧米の政治家および憲法学者に英訳の憲法義解を贈与し、彼らの忌憚なき意見を徴して帰國せよ、と命じられていた。

 金子はオーストリアを訪問した際に、伊藤の恩師である歴史法学の泰斗スタイン博士を訪問した。病魔に冒されていたスタインは医師の命令により来客を謝絶していたが、金子がスタインの愛する日本國の賓客にして憲法施行準備のためにオーストリアに来たことを聞き、医師の命令に背いて、金子と面談し、日本國のために助言した。続きを読む
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2015年01月03日

エドマンド・バークのブリストル演説と大日本帝國憲法第三十五條解説

 伊藤博文ら大日本帝國憲法原案起草者が枢密院帝國憲法制定会議に提出した原案第三十五條注解には、以下のような解説文が載っている。

「衆議院の議員は総て皆、國の代議士たり。而して衆議院選挙の法に選挙区を設くるは、代議士の選挙をして全國に普通ならしめんとする目的に外ならず。故に代議士は即ち國の人民を代表する者なり。而して其の所属選挙区の人民の為に一地方の委任使となり其の依嘱を代行する者には非ざるなり。」

 憲法義解大日本帝國憲法第三十五條解説にも同様の解説文が載っている。この解説文の出典は、伊藤博文が好んで引用したエドマンド・バーク(1729〜1797)の「ブリストル演説」のようである。続きを読む
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2014年12月10日

今こそ法の支配を尊重する平和主義を実現する秋−大日本帝國憲法義解第七十七條解説案

 平和(戦争無き状態)は実に多様である。平和には、日本国が天皇陛下を国家元首として戴く立憲君主制自由主義的議会制デモクラシー国として独立し健在している平和があれば、日本国がチベットと同様に独立を喪失し中華人民共和国の一省になっている平和(いわゆる奴隷の平和)もあり得る。

 当然ながら平和主義も多様であり、法の支配を尊重する平和主義があれば、GHQの戦争犯罪の産物(1907年ハーグ陸戦法規違反およびポツダム宣言違反にして帝國憲法違反のGHQ製日本国憲法)に服従し法の支配を放棄する平和主義もある。

 歴史法学徒の一人である筆者はもちろん前者の、法の支配を尊重する立憲平和主義者であるが故に(詳細は韓国人を震え上がらせるための日本憲法学の密教−現憲法無効論・憲法恢弘の法理)、日本国憲法無効確認・大日本帝國憲法復元論に賛同し、我が国が帝國憲法に増補すべき「法の支配を尊重する平和主義條項」を提示するのである。続きを読む
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2014年11月20日

逆賊の憲法改正案に御用心!憲法の本質を示す憲法改正の手続き

 明治の自由民権運動を代表する交詢社系の憲法私案は、議会に対して憲法改正発議権を与えつつ、議会が天皇の勅許を得ることなく憲法中の皇権に関する条項を改正するための会議を開くことを禁じている。これが議会に対する交詢社系憲法私案の制約である。

 大日本帝國憲法は、議会に対して、天皇の勅命(憲法改正発議)によって議会に送付される憲法の或る条項の改正案の可否を決定する権を与えつつ、憲法改正発議権を天皇に専属させ、議会が憲法改正を発議することを禁じている。これが議会に対する帝國憲法の制約である。

 立憲政治とは憲法によって制約される政治である。立憲君主とは憲法によって制約される君主である。立憲議会制デモクラシーとは憲法によって制約される議会制デモクラシーである。憲法の役割が国家の最高法規として国家権力を適正に制限することであるならば、憲法は行政部門、司法部門、立法部門のうち、前二者より必ず優位に立つ立法部門すなわち議会を厳重に制限しなければならない。

 これが伊藤博文の座右の書「ザ・フェデラリスト」の思想である。「ザ・フェデラリスト」は人民の能力への不信感を率直に表明し、立法機関を厳重に制限し直接民主制を否定しなければならないことを力説する。

 憲法改正の手続き上の議会に対する交詢社系憲法私案の制約(天皇の勅許)と帝國憲法の制約(天皇の勅命)は、「ザ・フェデラリスト」の思想に合致するのみならず、尊皇護国思想を持つ日本人に起草された、日本の国体国柄にふさわしい制約である。

 この制約があるかぎり、国民世論が一時的に左傾化し、民主党のごとき反日左翼政党が有権者を騙して公選議院を制圧しても、この反日左翼政党は、帝國憲法の下では憲法中の天皇に関する規定を変更し、皇室自治や立憲君主制を廃止するための憲法改正を発議することはできない。それは交詢社系の憲法の下でも至難の業である。

 しかるに日本国憲法(マッカーサー占領軍憲法)の憲法改正手続きには、日本の左翼全体主義化を阻止する天皇の勅許(交詢社系憲法私案)や天皇の勅命(大日本帝國憲法)といった議会に対する制約が消去され、代わりに国民投票が盛り込まれている。続きを読む
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2014年11月17日

国民主権を否定する明治自由民権運動の憲法私案−日本国の左翼全体主義化を阻止する天皇の勅許と天皇の勅命

 憲法が皇室の自治を規定しても、国民の代表機関である議会が皇室の家父たる天皇を無視し、天皇の御許しを得ることなく、憲法中の皇室自治規定を変更するための憲法改正の発議を行えるとすれば、それは、皇室の自治を仮初めの自治、偽りの自治に貶め、皇室の尊厳を汚してしまう。

 のみならず、それは、民主党の中井洽が国会で秋篠宮文仁親王殿下に「早く座れよ!」と暴言を吐いたこと、あるいは自民党の小泉純一郎が皇室の伝統と皇族の御意見を一切無視し、皇室の家法たる皇室典範を改悪しようとして、苦悩の末これに反対された三笠宮寛仁親王殿下の御寿命を縮めてしまったことと同等以上に、皇室に対する傲慢不遜無礼不敬千万な振る舞いである。これがフランス暴力革命のイデオロギーたる「国民主権」の本質である。

 だから大日本帝國憲法は皇室の尊厳を護るために皇室の自治を明記し、且つこれを担保するために憲法から「国民主権」を排除している。明治の自由民権運動を代表する交詢社系の憲法私案も実は同様なのである。
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2014年11月15日

中国農村の悲劇!日本の江戸時代にあった農村デモクラシー

 2012年1月16日、RFA中国語版(前編、後編)は、親子二代が村書記として「支配」する福建省福州市倉山区嶼宅村について報じた。村書記は前科者を集めた「護村隊」を組織し、従わない村民たちに暴力を振るっているという。昨年末、広東省陸豊市烏坎村が世界的な注目を集めた。

「烏坎に続け」 視察相次ぐ 中国「腐敗糾弾の村」 東京新聞、2012年1月22日

<烏坎村事件>

 昨年9月、村トップの共産党村支部書記が公有の土地使用権を勝手に売買し、その売却益の着服に怒った住民が抗議デモを決行。自治組織をつくって上部機関の広東省政府に調査を求め続けたが、昨年12月に自治組織の中心人物が警察当局の取り調べ中に急死。その後、抗議活動が激化したため、省政府はようやく村民の要求を受け入れ、村幹部の更迭など異例の決定を下した。

 村書記を追い出した村民たちが選挙で新たな書記を選んだこと、そして広東省政府が最終的には村民たちの要求を受け入れ、村民たちが選出したリーダーを書記として認めたという画期的な事件となった。あるいは烏坎村モデルが中国全土に広がることで、基層社会における民主選挙が導入されるのではとの期待も高まっているという。

 追放された村書記は、文化大革命末期の1972年から40年間にわたり村政府のトップの座を占めており、村の共有地を勝手に売り飛ばしてはその代金を懐に入れるという暴政を続けていたという。

 この村書記の「暴政」つまり共有地の勝手な売却と横領は、中国全土に蔓延する汚職腐敗であり、中国政府にとって頭の痛い問題である。昨年11月、人民日報は「幹部と群衆関係に信頼の礎を築け」という社社説を掲載している。その内容は「基層幹部は会統治の最前線であり、直接大衆と向き合っている。実質上共産党と政府のスポークスマンであり、その能力と態度が現地大衆の党の評価に影響する」というものである。

 村の支配者が暴政を振るう中で、 村レベルの民主制の拡大は既に現実的な政治課題となっているが、農村基層社会における民主選挙の導入は、中国共産党にとって、思わぬ副作用を生む危険性もあることから、なかなかタイムスケジュールに上がらない。続きを読む
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2014年11月14日

自主憲法制定論の欺瞞−法の支配を否定する違憲有効界改憲派の産経新聞

 南出喜久治弁護士のとこしへのみよを読み終えた者は、大日本帝國憲法の改正という形式を装った暴力団GHQ製日本国憲法の制定が国際法違反にして帝國憲法違反であったことを理解できる。

 しかし読者の中には、日本国憲法が違憲無効であるとして、なぜ我が国は帝國憲法の復原(原状回復)を行わなければならないのか、何故ゼロから全く新しい自主憲法を制定してはいけないのか、という疑問を抱く方がいるかもしれない。

 日本国憲法が日本国の最高法規として無効であるなら、日本の最高法規の地位にある正統憲法は帝國憲法以外にない。従って帝國憲法の復原が法理の筋道なのだが、なかなか今ひとつピンと来ない方のために、日本国憲法の制定過程に一つの瑕疵もなく、日本国憲法の制定が帝國憲法に照らして合憲にして有効であり、日本国憲法が我が国の最高法規の地位にある紛うことなき正統憲法であると仮定してみよう。

 次にこの日本国憲法の内容に不満を抱く政治勢力が、日本国憲法第96条に違反する憲法改正を強行し、改正憲法Aを施行したとしよう。

 この改正憲法Aの施行は日本国憲法第96条違反であるから、改正憲法Aは当然無効である。これに疑問を抱く方はいないだろう。しかしここから日本国憲法の復原が行われずに、ゼロから全く新しい自主憲法Bが制定されることになったら、正統憲法であるはずの日本国憲法は違憲の改正憲法Aとともに失効してしまうことになる。

 こんなことが罷り通るなら、あらゆる正統憲法は、この憲法の内容に不満を抱いて敢えて違憲の憲法改正を犯す政治勢力によって、次から次へアッサリと殺され、日本の立憲政治は全く機能しなくなる。

 全く新しい自主憲法Bが超硬性(厳重な憲法改正要件を持ち極めて改正し難い)の正統憲法となったところで、それは全く無意味である。今度は自主憲法Bの内容に不満を抱く政治勢力が自主憲法Bに違反する憲法改正を強行し、改正憲法Cを施行したら、違憲の改正憲法Cは無効だが、またゼロから全く新しい自主憲法Dが制定されることになり、同時に自主憲法Bは失効することになる。

 ここで日本国憲法の復原を拒否して自主憲法Bの制定を行った者および自主憲法Bを支持する者は、自主憲法Bの復原を主張することは出来ない。この自主憲法Bは前正統憲法たる日本国憲法の復原拒否の上に成り立つからである。

 たとえ彼等が正統なる自主憲法Bの復原を主張したところで、「お前が言うな!!」という非難の大合唱を浴びて、全く説得力を持ち得ない。正統憲法の復原を拒否した者、復原拒否を肯定した者が、どうして正統憲法の復原を他人に快諾させることが出来るのか。続きを読む
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2014年07月07日

現代の共産中国に無く戦前の大日本帝国に有ったもの−反日新聞社の盆暗史観

 国民の代表機関である帝国議会によって可決された治安維持法は、主にコミンテルン(国際共産党、実態はソ連共産党国際部)の日本支部を取り締まるために、人間によって外形に表示される行為の一種である「結社」のうち、国体の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社を禁止する法律であった。これは結社の自由の極々一部分を民主的に制限したにすぎない。続きを読む
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2014年03月20日

ひと目でわかる近衛文麿の正体−大東亜戦争史書の選び方

 筆者の記事「ひと目でわかる支那事変が長期化した原因と元凶−近衛文麿と尾崎秀実の国家犯罪」と「ひと目でわかる憲法上の神聖不可侵の意味」は、支那事変を拡大し我が国を対米英戦へ導いた最高責任者が近衛文麿であることを論証した。

 筆者が以下に紹介する第一次史料は、近衛文麿の邪悪な正体を21世紀の日本国民に伝えている。続きを読む
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