2016年03月07日

大政翼賛会と対決した第七十六回帝国議会−憲法義解を援用した川崎克代議士

 宮沢俊義と芦部信喜の虚偽憲法学を鵜呑みにしたまま老人となった東大法学部卒業の政治家、官僚、学者、弁護士、知識人、マスコミ関係者の中には、敗戦前の我が日本国は民主主義を知らなかったとか、立憲議会制デモクラシー国でなかったと公言して憚らない者がいます。

 また大政翼賛会の成立が日本の議会制デモクラシーを終わらせたと思い込んでいる者や、我が国の戦時体制を国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の一党独裁と同じ「ファシズム」の範疇に入れてしまう者が後を絶ちません。続きを読む
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2016年01月19日

斎藤隆夫代議士の議会演説「支那事変処理に関する質問演説(昭和15年2月2日)」の読み方

 筆者は、1995年に中村粲の「大東亜戦争への道」を購読したものの中村史観に全く納得できなかった。そこで小学3年生から歴オタの筆者は自分で戦史の調査を開始し、1997年末か98年初めに晩年の岸信介に大きな衝撃を与えた戦争と共産主義−昭和政治秘史(三田村武夫著/民主制度普及会、1950年初版発行)の復刻版「大東亜戦争とスターリンの謀略」(自由選書)を入手して、ようやく中村史観に納得できなかった自分に納得でき、支那事変長期化の真因が第一次近衛声明に連動した汪兆銘政権樹立工作であったことを理解できた。続きを読む
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2015年12月26日

部落差別の起源と真因


<池田信夫の間違い!被差別部落中世起源説>

 池田信夫は、週刊朝日と佐野真一を非難する記事の中で、「被差別部落の起源は、屠殺などの仕事が江戸時代の身分制度で非人とされたことによる職業差別で、世界の少数民族問題とは違って遺伝的な差別ではない」と指摘している。しかしこれは間違いである。被差別部落の江戸時代起源説(近世政治起源説)は、戦後民主主義洗脳狂育が日本国民に刷り込んでいる真っ赤な虚偽である。

 被差別部落の研究者である斉藤洋一氏は、次のように述べている。

 勉強を始めたころは、私も通説にしたがって、被差別部落は戦国時代末期から江戸時代初期にかけて政治権力によってつくられたものだと考えていた。そして、それを小文に書いたこともあった。しかし近世政治起源説になんとなく疑問を抱いていたのも事実だった。

 その疑問を決定的にしたのが、一九九〇年四月に発表された、中世史家横井清氏の「誕生から葬送へ」だった。そのなかで横井氏は、次のように述べている。

 私は、江戸時代に被差別部落が成立した、などという考え方は、少なくとも現時点ではもう捨てております。被差別部落の成立は、それ以前に遡るかたちで捉えられるべきである。実例も、一、二にとどまらない。

 現代にまでつながる被差別部落の歴史、というような観点で見ていく場合、量的には江戸時代を重視するという考え方は不可欠でありますが、被差別部落というものが歴史的に持たされてきている様々な特質・条件、そういったものを重視していく限り、量ではなくて、質の問題である。その点に固執するかぎり、中世に遡る、というふうに考えているわけです(身分差別社会の真実191ページ)。


 そして斉藤洋一氏は身分差別社会の真実(1995年初版発行/講談社現代新書)で、最近の研究成果として、被差別民の役割と生業の起源が中世にあったことを例証している。

 しかし被差別部落の中世起源説は、大日本帝國の歴史学会を代表する歴史家の一人であった瀧川政次郎が昭和3年(1928年)に出版した日本法制史(1985年講談社学術文庫より復刊)に出ているのだ。

 雑色の名残を汲む賤民は、穢多、非人の名をもって総称せられた各種の賤民である。エタなる名称の起源については種々の説があるが、『和名抄』に見える恵止利(屠者)なる語の転訛であろうという説が一番正しい。恵止利は餌取りであって、鷹に食わす餌(獣肉)を取ることを業とした鷹戸なる雑戸を呼んだ名である。

 穢多なる漢字は、このエタなる語の巧妙なる当字であって、その最も古き出典として従来知られているものは、『師守記』貞治元年(一三六二)の条であるが、鎌倉中期になれる『塵袋』には、既にこの語が見えている。

 非人なる名称の起源についても諸説あるが、『延喜式』には穢多非人の並称に対して濫僧屠者(らんそうえとり)なる並称があるから、非人はすなわち僧侶の異称より出た言葉であろう。

 穢多と非人とは、江戸時代には厳格に区別せれらたが、この時代の穢多・非人とはほとんど同義に用いられ、両者の間に判然たる区別がなかった(日本法制史上369ページ第四篇融合法時代前期〜鎌倉開府から応仁の乱まで)。


 鎌倉時代の百科事典「塵袋」(著者未詳。1264〜1288に成立)には次のような記述がある。

 根本は餌取と云ふべきか。餌と云ふはしゝむら(肉)を、鷹等の餌を云ふなるべし。其をとる物と云ふ也。えとりをはやくいひて、いひゆがめて、エタ(穢多)と云へり。たととは通音也、エトをエタと云ふなり。エトリを略せる也。子細しらぬものはラウソウ(濫僧)とも云ふ。乞食等の沙門の形なれども、其の行儀、僧にもあらぬを濫僧と名けて、施行ひかるゝをば濫僧供と云ふ。其れを非人・カタヒ・エタなど、人まじろひもせぬ、おなじさまのものなれば、まぎらかして非人の名をエタにつけたる也。ラムソウと云ふべきをラウソウと云ふ。弥しどけなし。天竺に旃陀羅と云ふは屠者也。いき物を殺てうる、エタ体の悪人也。

 非人は非人法師ともいい、要するに、エタ非人の起源は、濫僧非人すなわち正式の得度を経ず戒律を守らない僧形の浮浪者であり、乞食坊主である。

 文部省教科書調査官の嵐義人の解説によると、瀧川政次郎の日本法制史は、他の日本法制史の概説書の範となり、読み物として、また内容の程度において、瀧川の著書を凌駕するものは殆ど無いという。最近の被差別部落の研究はそのことを証明したのである。続きを読む
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2015年11月03日

日本国憲法第9条の精神は日本人に対すると虐めと嬲り−連合国の犯したポツダム宣言違反

 昭和天皇は、サンフランシスコ講和条約の発効の日を迎えて、次の御製を詠まれた。

 風さゆるみ冬は過ぎてまちまちし八重桜咲く春となりけり

 国の春と今こそはなれ霜こほる冬にたへこし民のちからに

 昭和天皇は、連合軍が日本国を占領していた期間を冬の時代と認識していたのである。

 荒木貞夫被告の弁護人を務めた菅原裕氏は、1945年9月2日に連合国と日本国を拘束する休戦条約となったポツダム宣言から発生する双方の権利と義務を挙げ、連合国が犯した数々の違法行為を批判した。続きを読む
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2015年10月11日

捕虜殺害が合法となる場合−戦時国際法と南京事件

 戦時国際法を構成する戦時(交戦)法規は、軍事上とくに必要としない殺戮、破壊、収奪行為を禁止して人道に配慮し戦争の犠牲を軽減する慣習法であって、軍事上必要な害敵行為を制限禁止して人道に配慮する所謂「宋襄の仁」の実施を軍隊に強要するものではない。従って捕虜殺害が軍事上必要止むを得ざる時には、これが合法となる場合がある。続きを読む
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2015年08月28日

日本憲政史上もっとも凶悪な内閣総理大臣(近衛文麿)を非難しない究極の愚行


 中川八洋教授は昭和20年2月14日の近衛上奏文を次のように批評している。

「近衛文麿が対英米戦争主義者でなかったかのような偽イメージ、あるいは近衛文麿がマルクス主義者でなかったかのような偽イメージをつくる、近衛自身による自己演技の最たるものがあの有名な近衛上奏文であろう。それは日中戦争と日米戦争の八年戦争のすべての責任を軍部に転嫁するに絶妙で華麗な演技の典型であった。

 この上奏文をもって近衛文麿が従前から英米に対する戦争の回避論者であったと、その証拠としてあげるものが多いが、それは余りにも短絡的である。また読解力に欠陥ありといわざるをえない。一九三七年六月の総理大臣就任以降の、近衛文麿の言葉ではなくその行動と明らかに矛盾する解釈であり、歴史の偽造をさらに増幅する歪曲である。政治家の評価・分析は、その言葉ではなくその行動でなすものであって、その逆は学問ではない。

 近衛上奏文は、日本の八年戦争とは日本の共産化を目的として共産主義者(マルクス主義者、社会主義者)たちによって遂行されてきたこと、一九四四年頃からのスローガン一億玉砕はレーニンの敗戦革命論に従った、共産革命がし易い荒廃した日本社会をつくるためのものであること、陸士・陸大の秀才組のある部分がソ連軍を日本に導入しての日本の共産化を策謀していること、などの最も深刻な諸状況について最も正確に鋭く核心を衝く省察をなしている。

 が同時に、この近衛の指摘は、マルクス主義にかぶれた陸士・陸大卒の赤い軍人たちに対英米戦とその継戦の動きのすべての責任を転嫁する狙いであるのは誰しも一読すれば理解できよう。」(近衛文麿とルーズベルト大東亜戦争の真実76、81頁)


 近衛上奏文および近衛文麿に対する中川教授の評価が正しいことは、以下の大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌(軍事史学会編/錦正社、1998年)昭和20年6月25日の条によって証明される。続きを読む
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史上最悪の反日的日本人の松谷誠を復活させた吉田茂

 晩年の岸信介に大きな衝撃を与えた大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義の著者の三田村武夫が挙げるゾルゲ機関の謀略工作が成功した理由の一つは、政治家の無知であり、共産党関係の事件内容が秘密にされてきたことと関連して、政治家が殆ど思想事件に無知で無関心であり、自分の身辺間近まで、或いは自分の腹中に、その謀略の手が延びて来ても気付かなかったことであるという。

 政治家の無知と無関心ひいては有権者の無知と無関心は、病膏肓に入りて、もはや不治の病である。そしてこの病気が、今の政治家を日本国に安楽死をもたらすドクターキリコに変えているのかもしれない。続きを読む
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2015年07月29日

復活の意味−ジョセフ・グルーとポツダム宣言第10条the revival and strengthening of democratic tendencies among the Japanese people

 機動戦士ガンダム第26話の題名は「復活のシャア」である。この題名が示す物語の内容は、シャア・アズナブルが第26話以前に活躍したものの、一旦没落し、第26話以後に再び活躍するということである。

 シャアが第26話以前に活躍していなかった、もしくは登場していなかったのであれば、「復活のシャア」という表現は成り立たない。

 「復活」とは、それ以前に、ある人物・勢力・制度などが活躍隆盛したものの、様々な理由から没落衰退した後、復(また)以前と同じように活力を取り戻し隆盛することだからである。続きを読む
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2015年07月27日

朝日新聞社の軍部暴走史観を打ち砕く近衛首相の施政方針演説(大阪朝日新聞1938.1.23)

 朝日新聞社とその同類の反日左翼勢力は、大東亜戦争批判から近衛文麿のブレーントラスト「昭和研究会」に結集していた朝日出身のソ連スパイ尾崎秀実ら共産主義者とマルクス・レーニン主義およびコミンテルンのテーゼ(28年、32年、35年)を救い出すために、支那事変の拡大長期化の原因を軍部の暴走に転嫁する。

 しかしこれが歴史の偽造であることは、昭和13年1月22日の第七十三回帝国議会における近衛文麿首相の施政方針演説を掲載した翌日の大阪朝日新聞によって証明される。続きを読む
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きのうの衆議院本会議(大阪毎日新聞 1937.8.5)

 もし今なお大日本帝国憲法が反デモクラシーの憲法で、ポツダム宣言受諾以前の我が日本国が立憲議会制デモクラシー国ではなかったと信じている憲法学徒が日本国内に現存するならば、ぜひとも「特別税法案委員附託 関税定率改正等可決 きのうの衆議院本会議」(大阪毎日新聞1937.8.5)を読んでほしい。

 日本国民は必ずや中国共産党の洗脳術(撫順戦犯収容所)を用いたWGIP(日本人を狂わせた洗脳工作−いまなお続く占領軍の心理作戦)とこれを相続し強化し継続している戦後民主主義狂育の洗脳効果−軍国主義史観(軍部暴走史観)から脱却できるはずである。続きを読む
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2015年06月11日

連合国による憲法第九条の解釈変更を無視する似非立憲主義もどきの蔓延−集団的自衛権に関する絶望的な混迷

 ホイットニー准将以下GHQ民政局はマッカーサー・ノートに基づき昭和二十一年(1946)二月三日から僅か六日間で総司令部草案を作成し、十日にこれをマッカーサーに提出した。ノートの第二原則は、第二原則にあった「自国の安全を保全するための手段としての戦争をも放棄する」を除いて、草案第八条に盛り込まれた。

 「国家の主権的権利としての戦争は廃棄される。武力による威嚇または武力の行使は、他国との紛争を解決する手段としては、永久に放棄される。陸軍、海軍、空軍、その他の戦力は認められず、交戦権は日本に与えられない。」(総司令部案第八条)

 日本政府は総司令部草案を日本語に翻訳してこれに基づき憲法改正草案を作成し、総司令部案第八条に若干の字句の修正を加えて、これを九条に移し、昭和二十一年六月二十日に開会された第九十回帝国議会に政府の改正草案を提出した。
 
 そしてこれが衆議院に設置された芦田均を長とする特別委員会で審議された際に、日本の丸腰状態の永続化を危惧する芦田委員長が、占領軍総司令部に気づかせぬまま、我が国の自衛権を留保し将来における自衛軍の再建を合法化するという含みを九条に持たせる為に、九条第二項に「前項の目的を達するため」という字句を挿入し、今日の憲法九条が成立したのである。

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」


 連合国極東委員会とその執行機関であるGHQ(占領軍)は、芦田の意図に気付いたものの、帝國議会における芦田均のマッカーサー占領軍憲法(日本国憲法)第九条の修正を承認し、その代わりに自衛権行使のための日本国の再軍備を前提として、軍部大臣現役武官制度の復活を防止するために、第六十六条二項に国務大臣の文民限定を挿入したのである。続きを読む
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2015年05月04日

民主党と社民党は戦後のドイツを見習え!国民の自由を制限するドイツ連邦共和国憲法

 我が国の反日左翼勢力は、彼らと敵対する尊皇護国保守反共勢力に対して事あるごとに国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)を非合法化している「戦後のドイツを見習え!」と喚く。

 ならば自民党は彼らの要求に応えて改憲案にドイツ連邦共和国憲法の第9条、第17a条2項、第18条、第21条に加えるべきである。そうすれば反日左翼勢力は「自民党は治安維持法を憲法条項化しようとしている!」と悲鳴に似た非難の声を上げ、馬脚を現すに違いない。続きを読む
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ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)と戦前の大日本帝國を同列に並べる愚人たちを滅ぼす1941年2月6日貴族院予算員会の大政翼賛会違憲論

 1941年1月21日から再開された第七十六回帝國議会では、政党を喪失した衆議院代議士と、貴族院議員が大政翼賛会に激しい非難を浴びせ、近衛文麿内閣総理大臣を追及した

 とくに大政翼賛会の一党独裁運動すなわち近衛新体制運動に止めを刺した2月6日の貴族院予算員会における岩田宙造議員(弁護士として、宮内省、日本銀行、日本郵船、東京海上火災、三菱銀行、日本勧業銀行各顧問を歴任後、1931年に貴族院議員に勅任される)の大政翼賛会違憲論と近衛文麿に対する追及質問(1941年2月6日貴族院予算委員会会議録−帝國議会会議録検索システム所収)は、我が国の立憲議会制民主政治史の白眉である。

 これを換言すれば、ワイマール憲法は国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の一党独裁を許してしまったが、大日本帝國憲法は国家社会主義ドイツ労働者党とソ連共産党を模倣した大政翼賛会の一党独裁を許さず、近衛新体制運動を推進した近衛文麿および近衛のブレーントラスト昭和研究会に結集していた朝日新聞社出身のソ連スパイ尾崎秀実ら国体の衣を着けた共産主義者の無法な野望を粉砕したのである。続きを読む
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2015年05月02日

立憲政治の模範国イギリスにあったCommentaries on the constitution of the Empire of Japan

 伊藤博文著憲法義解は、比較憲法学の成果にして歴史憲法学の結晶である。憲法義解の発刊形式こそ伊藤の私著であるが、その内容たるや明治天皇が御臨席された枢密院帝國憲法制定会議によって審議され修正され可決された大日本帝國憲法のコメンタリー(解釈書)である。金子堅太郎から憲法義解の英訳を贈られたスタイン(伊藤の師)やオリバー・ウェンデル・ホームズJr(金子の師)、ハーバート・スペンサーなど欧米の碩学は帝國憲法を絶賛した。

 筆者は憲法義解中の難解な漢熟語の文意と帝國憲法各條項の立法趣旨を精確に把握するために、憲法義解の英訳Commentaries on the constitution of the Empire of Japan / by Marquis Hirobumi Itō ; translated by Baron Miyoji Itō/2nd ed/Chū-ō Daigaku (Central University)/1906 の古本を探していたら、なんとイギリスの出版社が2014年にペーパ−バックとしてCommentaries on the Constitution of the Empire of Japan (39. Year of Meiji)を復刊していた。

 筆者は狂喜乱舞して早速これを購入した。出版社の復刊作業と印刷技術は粗略だが、これは間違いなく憲法義解の英訳である。

 エドマンド・バークの指摘どおり、フランス暴力革命がフランスに大虐殺と大混乱をもたらした後、19世紀のイギリスは立憲政治の模範国となりヨーロッパ各国及び我が日本国に多大な影響を与えた。

 その論旨は、普く英國政治の沿革史を渉猟し、従来の改進党が確守する所の政略は着実適切にして今の所謂改進党の如く空論に誘惑せられ急劇の挙動を以て政治を改革せんと企つるものの類に非ず。今の改進党が仏國の革命を賞讃するが如きは是れ啻に黄泉の下にある改進党たりし祖先の遺業を遵守せざるのみならず実に英國憲法を破壊するものなりといえり。

 その言や慇懃反覆一字一涙誠忠文面に顕われ且つ身を以て國に任じ盛暑の炎熱を厭わず冱寒の凛冽を畏れず日夜奔走し鞅掌尽力至らざるなきを以て、遂に英國人民の迷夢を警醒(ケイセイ−警告して迷いを覚まさせる)し、全國の政治家をして「ボルク」の論説に循うこと水の低きに就くが如くならしめ、大廈を未だ傾覆せざるに支え、狂瀾を未だ頽倒せざるに回し、仏國革命の毒気をして英國の邦土に侵入せしめず以て英國の憲法を千百歳の後に維持し今に至るまで確固不抜の地位を保ち英國帝王をして殆んど五大州裏に君臨たらしむるの形勢をなし、宇内の政治家をして常に英國の政体を称して真正の立憲政体なりと賞讃し往々その模範に倣い政体を改良せんと欲するに至らしめたるものは是れ将た誰の功ぞや。

 全く「ボルク」の一身を以て天下の犠牲と為し英國の安危を以て己の任となして鞠躬尽力せしに因ると云うもまた溢言にあらざるべし。

 蓋し「ルーソー」の政治論たるや当時仏國人民が永く君主圧制の下に苦しめられたるを翹げて乱を思うの機会に投じ自己の声望を得んと欲して主唱せしものなれば、その説新奇なるも一己の空論にして政治の実際に適用すること能わざるものなり。

 故に千七百年代に於ては一時宇内の人心を撹乱するの勢力を逞しうせしも、急進過激の迷夢は千七百年代の歳月と共に経過消散して現今千八百年代に至ては、欧米の政治家は古今の事蹟を竝観対比し秩序を逐い(オイ−追い)次第に進み因て以て政機を運転するにあらざれば、政治を改良し國民をして開明の域に進達せしむること能わざるを悟り、常人といえども多くは「ルーソー」の政論は空中架楼の論説にして啻に(タダニ−単に)政治の実際に適用すること能わざるのみならず大いに社会を擾乱せしものなることを覚知せり(フランス革命の省察の邦訳−政治論略/金子堅太郎著/元老院/1881年11月初版発行)。


 2015年イギリスはマグナ・カルタの制定(1215年)から800周年を迎えた。さすがイギリスは立憲君主議会制デモクラシーの母国だけあって、今なおイギリスの出版社は憲法研究の参考資料として憲法義解の英訳を復刊するのである。続きを読む
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イギリス法に由来する帝國憲法五十五條の大臣と責任(ダイシー)

 伊藤博文が枢密院帝國憲法制定會議に提出した帝國憲法原案附屬資料の第五十六條「參照」に拠ると、大日本帝國憲法義解第五十五條解説にある一節「蓋し國務大臣は内外を貫流する王命の溝渠なり」は、ダイシーの著作からの引用文であり、イギリスの慣習法に由来している。続きを読む
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2015年04月06日

不毛な戦争責任論争に終止符を打つ帝國憲法第五十五條と昭和天皇の御聖断

 昭和20年(1945)8月14日午前10時50分から始まった御前会議において、昭和天皇に対し、鈴木貫太郎内閣総理大臣は、閣議では約八割五分がポツダム宣言およびバーンズ回答の受諾に賛成しているものの全員一致を見るに至らず、重ねて叡慮を煩わせる重罪を陳謝した後、改めて反対の意見ある者より親しく御聞き取りの上で重ねて御聖断を仰ぎたい旨を申し上げた。

 昭和天皇は内閣国務各大臣の輔弼に依り大権を行使する立憲君主であったから、鈴木総理大臣の助言を受け容れ、御自身の御考えを述べられた上でポツダム宣言およびバーンズ回答の受諾を表明された(終戦工作の記録下488〜489頁)。

 しかし昭和天皇の御聖断が我が国の国家意思として確定するには、昭和天皇が臣民に我が国がポツダム宣言を受諾し連合国に有条件降伏することを告げる所謂「終戦の詔書」に鈴木内閣閣僚全員の副署(同意のサインつまり承認)が必要であった(大日本帝國憲法第五十五條および内閣官制第五條)。続きを読む
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2015年03月23日

環境権・緊急事態・財政均衡主義・改憲要件緩和−安倍自民党の憲法改正構想は亡国のショックドクトリンに道を開く

 筆者は「環境権と憲法改正 憲法義解第二十条解説改正案」の中で次のように書いた。

 安倍首相は憲法改正の実現に情熱を燃やしているようだが、果たして現在の自民党議員の中に、自民党の新憲法草案各条項の由来と立法趣旨を日本国の歴史から説き明かす「新憲法義解」を執筆し公刊できるだけの碩学がいるのだろうか?

 安倍首相および自民党各議員が、伊藤博文と井上毅の共著「憲法義解」より優れた新憲法義解を執筆する器量と見識を持ち合わせていないのに、拙速に憲法改正を目指しているのならば、それは亡国の憲法改悪になるだけであろう。


 残念ながら筆者の危惧は現実化しつつある。続きを読む
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2015年03月01日

憲法改正詐欺に御用心!占領軍憲法第9条より恐ろしい財政均衡主義の憲法条項化

 GHQがマッカーサー占領軍憲法(日本国憲法)第9条の「芦田均修正」を容認する代償として日本国憲法第66条2項に挿入した「国務大臣の文民限定」は、「芦田均修正」ともども帝國憲法第73條違反であるばかりか、無知と錯誤の産物である。

 日本国憲法第66条2項がGHQの無知と錯誤の産物である理由は次の3つである。

・軍部大臣現役武官制度の弊害を除去するには、軍部大臣の官制を1891年〜1900年の軍部大臣武官文民制度に戻せば良かった。

・内閣官制第9条「各省大臣故障アルトキハ他ノ大臣臨時摂任シ又ハ命ヲ承ケ其ノ事務ヲ管理スヘシ」により、帝國憲法下の内閣総理大臣は臨時に軍部大臣を兼任でき、そもそも軍部大臣現役武官制度は内閣の生殺与奪権を軍部に与えなかった(半藤一利の虚構史観を斬る!昭和十年代の陸軍と政治―軍部大臣現役武官制の虚像と実像)。

・支那事変の拡大長期化は軍部の暴走ではなく、近衛文麿という文民首相の暴走であった(ひと目でわかる日中戦争が拡大長期化した原因と元凶−近衛文麿と尾崎秀実の国家犯罪)。

 それなのに国務大臣の就任資格を文民に限定する日本国憲法第66条2項は全く不合理である。同条項が日本国憲法にない場合、国会議員である内閣総理大臣は自衛隊の現役将官を防衛大臣に任命し、これを罷免することができる(日本国憲法第67条、第68条)。したがって自衛隊のシビリアンコントロール(軍人に対する政治家の優位、政治家の軍事支配)に日本国憲法第66条2項は全く不必要である。

 国務大臣が文民に限定される必要はなく、また国務大臣の過半数が国会議員である必要もない。内閣総理大臣が国会の内外から国務大臣に相応しい能力を持つ日本国民を起用した結果、自衛隊の現役将官が防衛大臣その他の国務大臣に就任しようが、国務大臣の過半数が非国会議員になろうが全く問題ない。彼等が何か問題を起して国政に悪い影響を及ぼしたならば、内閣総理大臣は直ちに彼等を罷免できるからである。

 さらに内閣総理大臣が国会議員である必要すらない。国会は国会の議決をもって国会の内外から宰相の器量を持つ日本国民を選んで内閣総理大臣に指名し、これに基づいて天皇陛下が内閣総理大臣を任命されればよいのである。
 国会が法律承認権と予算承認権を持つ限り、国会に指名された皇族や自衛隊現役将官が内閣総理大臣に就任しても、我が国の立憲議会制デモクラシーは全く揺るがない(現代日本に甦る美濃部達吉の遺言−立憲議院内閣制の理想型)。

 それなのに、産経新聞社の「国民の憲法」起草委員会第10回会合では、文民の定義について大原康男(国学院大学教授)が「(憲法上)『現に軍人ではない人物』と表現すべきだ」と提案したという。

 今なお産経の「国民の憲法」起草委員会は「国務大臣の文民限定」に固執しているのであれば、彼等には全く呆れ果てる以外にない。「国務大臣の文民限定」は適材適所を妨げ、憲法の運用を硬直化させるのみである。

 憲法は国家の最重要規範であるがゆえに国家の最高法規であるから憲法改定要件は軟性であってはならない。憲法改正は国家の一大事であるから、憲法改定は頻繁であってはならない。改定要件が軟性で改定が頻繁であればあるほど、憲法改悪が生じ国体を破壊し皇室と国民を含む国家に厄災をもたらす危険性を高めてしまう。

 したがって我が国は、憲法の改定要件が超硬性であることと憲法の運用が柔軟になることを見事に止揚した大日本帝國憲法原案の起草原則のうち少なくとも以下の第三原則を受け継ぐべきなのである。

第三、欧米各国の憲法は多くは帝王の圧制を検束し、又は人民の権利を保護する為に制定せられたものであるから、その条項は頗(すこぶ)る多数にして、議員の資格権利、議事の方法等に至るまで詳細明記している。

 しかしながら我が憲法においてはこれ等の条項は憲法付随の法律、勅令に譲り、憲法には帝国政治の大綱目のみに止め、又その条文のごときも簡単明瞭を主とし、将来国運の発展に伴い、伸縮自在「フレキシビリティー」にして、しばしば憲法の改正を要せざるように起草せられた(金子堅太郎談)。


 自民党内の違憲有効界改憲派に属する邪な連中が企てている「財政均衡主義の憲法条項化」など言語道断である。これは、憲法の運用から伸縮自在の柔軟性(フレキシビリティ)を奪うだけでなく、現在日本の最高法規の地位を違法不当に占領している日本国憲法第9条より効果的に我が国の武力を封印する危険な構想である

 自衛戦争の遂行とは、政府が戦争終了まで財政均衡主義を放棄し、大規模な財政出動を行い戦勝を期すことだからである

 産経新聞社は占領軍憲法第9条の是非に焦点を当て、第9条の改正を力説している。有権者が、菅原裕の日本国憲法失効論に糾弾された産経新聞社の第9条改正論に酔い痴れ、諸悪の根源として占領軍憲法第9条を憎悪するあまり、第9条の改正が日本国を再興すると信じ込むと、公選議院の弊害を体現する政党の憲法改正詐欺に引っ掛かり、またまた後悔するのである。
 
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2015年02月28日

我が日本国は東京裁判史観を受諾していない−サンフランシスコ講和条約第11条の正当なる解釈

 以下のサンフランシスコ講和(平和)条約第11条の邦訳は誤訳である。

 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の判決(英語ではthe judgements、スペイン語ではlas sentencias )を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。

 極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。」

 英語のjudgementは、法律用語として用いられる場合、日本語の「判決」を意味する。スペイン語のsentenciaは、判決または宣告された刑を意味し、「裁判」という意味を含まない。しかし外務省の邦訳文では、判決(the judgements)が裁判(trial)と誤訳されている。

 大原康男教授が、当時の外務省条約局課長であった藤崎万里氏に取材したところ、藤崎氏から「昔のことなので、なぜジャッジメントつまり判決の受諾が裁判の受諾になったか、自分も覚えていない」と言われたという(1)。

 支那事変の勃発後、朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実ら昭和研究会に参集していたソ連系の共産主義者によって実行された作為戦争謀略活動には、外務省から牛場信彦が参加していた(2) 。

 昭和13年(1938)7月26日、宇垣一成外相がイギリスに対支援助の中止と日支和平の仲介を要請するためにイギリス駐日大使クレーギーとの会談を開始したところ、牛場や甲斐文比古ら外務省少壮革新事務官8人が宇垣外相を訪問し、「今日、漢口攻略を目前に控え、帝国外交も、蒋介石政権の壊滅、防共枢軸の強化及び在華英、仏、ソの政治的勢力の排除のため断然たる措置に出すべき秋と思考するところ、最近の大臣関係大使との御交渉ぶりは、吾等の最も憂うところなりとす」と述べて、クレーギーとの会談の中止を迫り、独伊との関係強化を主張したが、宇垣外相に軽くあしらわれた(3)。ゾルゲ機関の諜報謀略網は外務省内部にも浸透していたことは疑いを容れない。

 昭和29年(1954)8月、警視庁は、アメリカに亡命中の元在日ソ連代表部書記官ユーリー・ラストボロフの供述に基づき、反共の闘士を演じていた外務省職員兼内閣調査室員の日暮信則のほか通産省、外務省職員2人を国家公務員法違反で逮捕し、日暮は東京地検4階で取調べ中に窓から投身自殺した。

 GHQによって治安・防諜能力を喪失させられた占領期の日本では、約8000人以上の日本人工作員がソ連に奉仕していたとも言われており、サンフランシスコ講和条約の発効前後、外務省には今日のチャイナスクール出身者の先輩に相当する革新官僚が蠢動していたであろうことは想像するに難くない。

 朝日新聞社や日教組ら日本の反日左翼勢力が反米主義者でありながらも戦時中のアメリカが抱懐していた特異な反日思想である所謂東京裁判史観を信奉する理由は、これがGHQ内部に潜入していたアメリカ共産主義者の階級闘争史観「日本の対内対外政策は犯罪的軍閥に依り支配せられ且つ指導せられたり。斯かる政策は重大なる世界的紛争および侵略戦争の原因たると共に平和愛好諸国民の利益並びに日本国民自身の利益の大なる毀損の原因をなせり」を含んでいるからである(4)。

 もしかすると外務省の革新官僚が連中と共謀し、日本国は国際社会に復帰する条件として東京裁判および東京裁判史観を合法な正当裁判および唯一絶対の真実として受け入れた、と日本国民および国民の代表である政治家に錯覚させ、反日左翼勢力が繰り広げている各種の反日運動に国際法上の根拠を与えようとして、悪質な誤訳を講和条約11条の邦訳文に挿入したのではないか、と勘ぐりたくなる。

 誤訳の背景に関する以上の考察は推測の域を出ないが、筆者が確信をもって断言できることは、この講和条約第11条は単なるアムネスティ(国際法上の大赦)の対日不適用条項に過ぎず、「南京事件の法的意味ですが、日本政府はサンフランシスコ講和条約で、東京裁判判決を受諾し、サインをしています。つまり、東京裁判の結論に政府として文句はいいませんという言質を取られているのです。日本政府の公式な立場としては、南京虐殺事件は、数の問題はべつとして、たしかに存在した、と確認しているわけです」という秦郁彦の主張は全くの見当違いであるということである。

(1)【大東亜戦争の総括】380p
(2)三田村武夫【大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義】263p
(3)額田坦【秘録宇垣一成】186p
(4)小堀桂一郎編【東京裁判日本の弁明】16〜19p「東京裁判検事起訴状」

<国際法上の大赦の意義>

 国際法上の大赦とは、講和条約の法的効果の一つであり、「戦争中に一方の交戦国の側に立って交戦法規違反行為を犯した全ての者に、他方の交戦国が責任の免除を認める」効果を持つ。つまり講和条約の締結と発効は、国際法上の交戦状態を終了させるだけでなく、同時に戦時中の交戦国の軍事行動である軍事裁判の判決をも失効させ、すべての戦争犯罪人を免責するのである。

 国際法史上有名なアムネスティ条項は、30年戦争を終結させた1648年のウェストファリア平和条約第2条である。そこには、戦乱が始まって以来、言葉、記述、暴虐、暴行、敵対行動、毀損、失費のかたちで行われたすべてのものにつき、「交戦諸国相互間で、永久の忘却、大赦ないし免罪があるべきものとする」と規定されている。

 このように、全てを水に流す「全面的忘却」の精神に基づくアムネスティ条項は、戦争によって煽動された国家間の憎悪を鎮め平和を回復するために必要とされ、17世紀から19世紀中に締結された数多くの講和条約の中に盛り込まれ、1918年3月3日のドイツ−ソ連条約の23〜27条や、同年5月7日のドイツルーマニア条約の31〜33条も一般的アムネスティ条項を構成している。

 以上の諸国家の慣行に基づき、第二次世界大戦前には、アムネスティ条項が講和条約中に設置されなくても、講和条約の発効それ自体がアムネスティ効果を持つということが、国際条約(明示の合意)と共に国際法を構成する国際慣習法(黙示の合意)−国際社会に生まれた慣習にして、複数の文明諸国家によって、彼らの正しいとの信念の下に繰り返し行われ、遵守すべき規範(ルール)として確信されるに至った慣習−として確立したのである(1)。

 従って本来ならば、昭和27年(1952)4月28日サンフランシスコ講和条約が発効した時点で、日本政府は所謂A級戦犯を裁いた東京裁判およびアジア太平洋地域の各地で開廷されたBC級戦犯裁判の判決の失効を宣言し、日本国内で服役している日本人戦犯を直ちに釈放し、且つ、外国で拘禁されている日本人戦犯の即時釈放を連合国に要求する国際法上の権利を有し、連合国はこれを承認する義務を有していたのである。

 しかしサンフランシスコ講和条約第11条はこの権利を日本に認めず、逆に我が国に対して、講和条約の発効後も、連合国が赦免するまで、日本国内で拘禁されている日本人戦犯に対する刑の執行の継続を義務づけたのである。その結果として講和条約が発効し、日本が独立を回復した後においても、巣鴨、モンテンルパ(フィリピン)、マヌス島(オーストラリア)で継続して1224名もの日本人および戦時中日本国籍を有していた朝鮮人および台湾人が戦犯として拘禁されたのである。

 要するに、サンフランシスコ講和条約第11条とは、日本政府による日本人戦犯に対する刑の執行の停止を阻止することを狙ったものに過ぎず、しかも、とうの昔に日本政府によって完全履行され、最後のBC級戦犯18名が関係各国の同意を得て出所を許された昭和33年(1958)5月30日に臨終を迎えた条項なのである(1)。

 イギリスの国際法家オッペンハイムが述べているように、戦勝国が講和条約中に戦敗国に対するアムネスティの不適用条項を設置することを禁止する規定は国際法に存在しない(2)。しかし戦時中に日本軍将兵および日本の戦争指導者を裁いた連合軍の軍事裁判は基本的に無法な復讐リンチ裁判であり、それらが下した有罪判決自体が著しく不公正であり、ほとんど冤罪であった以上、サンフランシスコ講和条約第11条は、連合国特にこの条項の起草と挿入を主導したアメリカとイギリスの執拗かつ陰湿な対日報復の延長であったと言わざるを得ないのである。

 実際、連合国内部では、この条項に対する反対論が噴出しており、1951年9月のサンフランシスコ講和会議では、駐米メキシコ大使ラファエル・コリナがメキシコを代表して、

「われわれは、できることなら、本条項が連合国の戦争犯罪裁判の結果を正当化しつづけることを避けたかった。あの裁判の結果は、法の諸原則と必ずしも調和せず、特に法なければ罪なく、法なければ罰なしという近代文明の最も重要な原則、世界の全文明諸国の刑法典に採用されている原則と調和しないと、われわれは信じる。」

と東京裁判を批判し、駐米アルゼンチン大使イポリト・ヘスス・パスも、

「この文書の条文は、大体において受諾し得るものではありますが、2、3の点に関し、わが代表団がいかなる解釈をもって調印するかという点、及びこの事が議事録に記載される事を要求する旨を明確に述べたいのであります。本条約第11条に述べられた法廷東京裁判に関しては、わが国の憲法は、何人といえども正当な法律上の手続きを踏まずに処罰されない事を規定しています。」

と語り、「正当な法手続きを踏まずに日本人指導者を処罰した東京裁判は、アルゼンチン憲法の精神に反している」として、東京裁判を間接的に批判したのである(1)。

 アルゼンチンは、カルボードラゴ主義を唱えてアメリカを動かし、1907年の第二回ハーグ平和会議において「契約上の債務回収のための武力行使を制限する条約」を実現させた。

 カルボーはアルゼンチンを代表する著名な国際法家で、ドラゴは同国の外務長官としてカルボーの学説を基に、1902年12月英独伊三国がベネズエラに武力を背景に債務不履行に関する賠償を請求したことに対して強硬な抗議を行った人物であり、カルボードラゴ主義の内容は、「厳格なる国際法上の権利としては、債務の回収及び私的要求の貫徹のためにする債権者所属政府の武力干渉は許されるべきでない。

 欧州諸国はその相互関係の上には常にその法則を守るのに、独り新世界の諸国に対する関係においてこれに則さないのは理解しがたい。欧州資本家は、南米に投資するに当たり投資対象地の国情を熟知するが故に、利子を高め条件を荷重し、全てのリスクを考慮した上で投資を行うのである。従って債務国において一時の都合から契約上の義務が履行されないからといって、資本家の政府が直ちに背後に立ち、武力を以て債務国に臨むのは断じて公正ではない」というものであった(3)。

 アルゼンチンは、1920年の国際連盟総会において選択条項という折衷案を出し現在の国際司法裁判所制度の基礎を作ったブラジルと共に、20世紀前半における国際法研究の大国であった。だからこそ彼の国は講和条約第11条の不当性をよく理解できたのである。そして大日本帝国の遺風が未だ失われていなかった講和条約の発効直後の日本国もまたメキシコ、アルゼンチンに負けず劣らず第11条の不当性をよく認識していた。続きを読む
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2015年01月30日

違憲有効界改憲派の厚顔無恥に御用心!真正の法力(憲法の非常事態対処能力)再生方策

 大日本帝國憲法には、軍隊に関する規定すなわち第十一條(統帥大権)、第十二條(編成大権)、第二十條(兵役の義務)、第三十二條(軍人の権利制限)、第六十條(軍法会議など特別裁判所の管轄)の他に、以下の非常事態対処規定がある。

第八條(議会閉会時の緊急勅令)
第十四條(戒厳の布告)
第三十一條(天皇の非常大権)
第七十條(議会召集不可能時の財政上必要の処分)
第七十五條(摂政設置時の典憲改変の不可)

 第七十五條は、1907年ハーグ陸戦法規第四十三条やこれに準拠する1946年フランス憲法第九十四条「本土の全部もしくは一部が外国軍隊によって占領されている場合は、いかなる憲法改正手続きも、着手され、または遂行されることはできない」と同じ役割を果たす優れた規定である。

 帝國憲法第七十五條「憲法及皇室典範は摂政を置くの間之を変更することを得ず」の立法趣旨は、摂政が置かれる期間を國家の「変局時」と認識し、國家変局時の憲法及皇室典範の変更を禁じると同時に、憲法改正の発議が天皇の専権事項であること(帝國憲法勅語)を担保して、天皇以外の者が発議する憲法の改正を禁じているのである。

 これは帝國憲法各条項の立法趣旨すなわち正当解釈を詳述する憲法義解に読めば一目瞭然となる。

「恭て按ずるに、摂政を置くは國の変局にして其の常に非ざるなり。故に摂政は統治権を行うこと天皇に異ならずと雖、憲法及皇室典範の何等の変更も之を摂政の断定に任ぜざるは、國家及皇室に於ける根本条則の至重なること固より仮摂の位置の上に在り、而して天皇の外何人も改正の大事を行うこと能わざるなり。」(伊藤博文著憲法義解第七十五條解説)

 敵国軍隊が日本国本土を占領し敵国の戦略に沿い帝國憲法を改変することは、敵軍が天皇からその専権である憲法改正発議権を簒奪することを意味する。この期間は、天皇が病気その他の事故により憲法改正発議権を行使できない「摂政を置くの間」と同等以上の国の変局時である。かかる非常時に天皇以外の者(敵国軍隊であるGHQ)が帝國憲法を改変したことは第七十五條の二重違反にあたり、無効である。

 大日本帝國憲法には、非常時の危機から、皇室、国民、憲法、それらを包含する日本という国家の存立を護るための多重防範が既に備わっている。しかもそれは関東大震災と東京大空襲の際に無政府状態の発生を未然に防いだのである。

 明治天皇、伊藤博文、勝安芳(海舟)、榎本武揚をはじめ枢密院帝國憲法制定会議に参加した明治の偉人達は、それまでに幕末の動乱をくぐり抜け、約二百六十年続いた徳川幕府の終焉を見届け、戊辰戦争と西南戦争という本土決戦を経験した。

 彼等は世の無常を熟知しており、地方行政の麻痺、議会の召集不能、中央政府の崩壊、敵軍の占領といった非常事態の発生を想定し、それらに対処するための法力(憲法の非常事態対処能力)を帝國憲法に盛り込まざるを得なかった。

 東日本大震災の発生以後、保守風味の有効界改憲派は日本国憲法の欠陥として非常事態対処規定の不備をあげつらい、これを盛んに批判している。
 帝國憲法違反のGHQ製日本国憲法を有効な最高法規として罷り通らせている当事者の彼らが今さら日本国憲法の欠陥を批判するのは厚顔無恥の所業ではないか。

 さらに、もし違憲有効界改憲派の学者と政治家が日本国憲法の欠陥を批判しながら、帝國憲法第七十五條や1946年フランス憲法第九十四条と同じ立法趣旨を持つ非常事態対処規定を日本国憲法の改正案に盛り込まないとすれば、彼等は空想虚言癖を持つ無恥蒙昧な愚人である。

 彼等は、我が国が大東亜戦争に大敗北したことを省みず、またサンフランシスコ講和条約の発効から六十年が経過した今日においても我が国が日本国憲法という名のGHQ(占領軍)の桎梏に苦悶していることを省みることなく、今だに神州不滅思想を持つ愚人の群れである。

 ここでいう神州不滅思想とは、「我が国が再び戦争に敗れ、敵軍が再び我が国を軍事占領し敵国の都合の良い様に我が国の憲法を改変するという非常事態は、今後絶対に有り得ない、起こり得ない」と意識的あるいは無自覚に決め付ける思考である。

 改憲派が神州不滅思想をもって憲法の非常事態対処規定の再生を試みることは、2011年3月11日以後の東電と日本政府が巨大地震、巨大津波、原発のメルトダウン、メルトスルーの再発を想定することなく今後の防災体制を構築するに等しい愚行である。

 この愚行は、神州不滅思想を抱く者が想定しない非常事態が不幸にも発生し終了した後に、日本国民が敵軍による日本国憲法の改変の無効を宣言して正統憲法の復元(正統憲法の事後救済−詳細はこちら)を実現するための憲法上の法的根拠を、次世代の日本国民から剥奪する暴挙であり、我が国の未来に対して余りに無恥無謀無責任である。

 もし違憲有効界改憲派がそのことを恥じて神州不滅思想を捨て去り、日本国憲法の改正案に帝國憲法第七十五條や1946年フランス憲法第九十四条と同じ立法趣旨を持つ非常事態対処規定を盛り込み、この規定に違反する憲法改変の無効を宣言すれば、これは自動的に彼等の日本国憲法無効宣言となる。

 結局のところ日本国憲法無効・大日本帝國憲法復元改正(増補)こそ真正の法力(憲法の非常事態対処能力)再生なのである。

 大日本帝國憲法は枢密院帝國憲法制定会議に参集した明治の偉人達の叡智の結晶であり、日本国憲法の桎梏から我が国を解放する偉大な法力を持っている。

 枢密院帝國憲法制定会議が終局を迎えようとしていたとき、金子堅太郎は、顧問官の勝安芳が枢密院の審議中に帝國憲法原案に対して一言も意見を述べないことを不思議に思い、勝に沈黙の理由を質したところ、勝は次のように答えた。

「伊藤はかつて国会尚早を唱え、後ドイツに遊び教えを其の国の碩学に受けたから、必ずビスマルク一流の圧制的憲法を立案するに相違ないと想像して居たから、事前に之を匡救したいと思って数次意見も述べたが、さて愈々(いよいよ)配布された草案を見ると案に相違し、さらさらと読めて淀みがなく実に上々の出来栄え、批点の打ち所がないか或いは何処にか瑕瑾がありはせぬかと諸君の議論を聴くのを楽しみにして毎回出席して居るが、未だかつて一つも之を見出さぬから沈黙して居る次第だ」(林田亀太郎/明治大正政界側面史)

 日本国民は、占領憲法の正體−新無効論が詳述する13の無効理由を広め、日本国憲法無効・帝國憲法復元改正論を支持する西田昌司参議院議員を応援し、明治の偉人達の叡智を素直に相続すべきである。
posted by 森羅万象の歴史家 at 21:00| 大日本帝国憲法の真髄 | 更新情報をチェックする

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