2015年05月04日

ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)と戦前の大日本帝國を同列に並べる愚人たちを滅ぼす1941年2月6日貴族院予算員会の大政翼賛会違憲論

 1941年1月21日から再開された第七十六回帝國議会では、政党を喪失した衆議院代議士と、貴族院議員が大政翼賛会に激しい非難を浴びせ、近衛文麿内閣総理大臣を追及した

 とくに大政翼賛会の一党独裁運動すなわち近衛新体制運動に止めを刺した2月6日の貴族院予算員会における岩田宙造議員(弁護士として、宮内省、日本銀行、日本郵船、東京海上火災、三菱銀行、日本勧業銀行各顧問を歴任後、1931年に貴族院議員に勅任される)の大政翼賛会違憲論と近衛文麿に対する追及質問(1941年2月6日貴族院予算委員会会議録-帝國議会会議録検索システム所収)は、我が国の立憲議会制民主政治史の白眉である。

 これを換言すれば、ワイマール憲法は国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の一党独裁を許してしまったが、大日本帝國憲法は国家社会主義ドイツ労働者党とソ連共産党を模倣した大政翼賛会の一党独裁を許さず、近衛新体制運動を推進した近衛文麿および近衛のブレーントラスト昭和研究会に結集していた朝日新聞社出身のソ連スパイ尾崎秀実ら国体の衣を着けた共産主義者の無法な野望を粉砕したのである。続きを読む
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2015年05月02日

立憲政治の模範国イギリスにあったCommentaries on the constitution of the Empire of Japan

 伊藤博文著憲法義解は、比較憲法学の成果にして歴史憲法学の結晶である。憲法義解の発刊形式こそ伊藤の私著であるが、その内容たるや明治天皇が御臨席された枢密院帝國憲法制定会議によって審議され修正され可決された大日本帝國憲法のコメンタリー(解釈書)である。金子堅太郎から憲法義解の英訳を贈られたスタイン(伊藤の師)やオリバー・ウェンデル・ホームズJr(金子の師)、ハーバート・スペンサーなど欧米の碩学は帝國憲法を絶賛した。

 筆者は憲法義解中の難解な漢熟語の文意と帝國憲法各條項の立法趣旨を精確に把握するために、憲法義解の英訳Commentaries on the constitution of the Empire of Japan / by Marquis Hirobumi Itō ; translated by Baron Miyoji Itō/2nd ed/Chū-ō Daigaku (Central University)/1906 の古本を探していたら、なんとイギリスの出版社が2014年にペーパ-バックとしてCommentaries on the Constitution of the Empire of Japan (39. Year of Meiji)を復刊していた。

 筆者は狂喜乱舞して早速これを購入した。出版社の復刊作業と印刷技術は粗略だが、これは間違いなく憲法義解の英訳である。

 エドマンド・バークの指摘どおり、フランス暴力革命がフランスに大虐殺と大混乱をもたらした後、19世紀のイギリスは立憲政治の模範国となりヨーロッパ各国及び我が日本国に多大な影響を与えた。

 その論旨は、普く英國政治の沿革史を渉猟し、従来の改進党が確守する所の政略は着実適切にして今の所謂改進党の如く空論に誘惑せられ急劇の挙動を以て政治を改革せんと企つるものの類に非ず。今の改進党が仏國の革命を賞讃するが如きは是れ啻に黄泉の下にある改進党たりし祖先の遺業を遵守せざるのみならず実に英國憲法を破壊するものなりといえり。

 その言や慇懃反覆一字一涙誠忠文面に顕われ且つ身を以て國に任じ盛暑の炎熱を厭わず冱寒の凛冽を畏れず日夜奔走し鞅掌尽力至らざるなきを以て、遂に英國人民の迷夢を警醒(ケイセイ-警告して迷いを覚まさせる)し、全國の政治家をして「ボルク」の論説に循うこと水の低きに就くが如くならしめ、大廈を未だ傾覆せざるに支え、狂瀾を未だ頽倒せざるに回し、仏國革命の毒気をして英國の邦土に侵入せしめず以て英國の憲法を千百歳の後に維持し今に至るまで確固不抜の地位を保ち英國帝王をして殆んど五大州裏に君臨たらしむるの形勢をなし、宇内の政治家をして常に英國の政体を称して真正の立憲政体なりと賞讃し往々その模範に倣い政体を改良せんと欲するに至らしめたるものは是れ将た誰の功ぞや。

 全く「ボルク」の一身を以て天下の犠牲と為し英國の安危を以て己の任となして鞠躬尽力せしに因ると云うもまた溢言にあらざるべし。

 蓋し「ルーソー」の政治論たるや当時仏國人民が永く君主圧制の下に苦しめられたるを翹げて乱を思うの機会に投じ自己の声望を得んと欲して主唱せしものなれば、その説新奇なるも一己の空論にして政治の実際に適用すること能わざるものなり。

 故に千七百年代に於ては一時宇内の人心を撹乱するの勢力を逞しうせしも、急進過激の迷夢は千七百年代の歳月と共に経過消散して現今千八百年代に至ては、欧米の政治家は古今の事蹟を竝観対比し秩序を逐い(オイ-追い)次第に進み因て以て政機を運転するにあらざれば、政治を改良し國民をして開明の域に進達せしむること能わざるを悟り、常人といえども多くは「ルーソー」の政論は空中架楼の論説にして啻に(タダニ-単に)政治の実際に適用すること能わざるのみならず大いに社会を擾乱せしものなることを覚知せり(フランス革命の省察の邦訳-政治論略/金子堅太郎著/元老院/1881年11月初版発行)。


 2015年イギリスはマグナ・カルタの制定(1215年)から800周年を迎えた。さすがイギリスは立憲君主議会制デモクラシーの母国だけあって、今なおイギリスの出版社は憲法研究の参考資料として憲法義解の英訳を復刊するのである。続きを読む
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イギリス法に由来する帝國憲法五十五條の大臣と責任(ダイシー)

 伊藤博文が枢密院帝國憲法制定會議に提出した帝國憲法原案附屬資料の第五十六條「參照」に拠ると、大日本帝國憲法義解第五十五條解説にある一節「蓋し國務大臣は内外を貫流する王命の溝渠なり」は、ダイシーの著作からの引用文であり、イギリスの慣習法に由来している。続きを読む
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2015年04月06日

不毛な戦争責任論争に終止符を打つ帝國憲法第五十五條と昭和天皇の御聖断

 昭和20年(1945)8月14日午前10時50分から始まった御前会議において、昭和天皇に対し、鈴木貫太郎内閣総理大臣は、閣議では約八割五分がポツダム宣言およびバーンズ回答の受諾に賛成しているものの全員一致を見るに至らず、重ねて叡慮を煩わせる重罪を陳謝した後、改めて反対の意見ある者より親しく御聞き取りの上で重ねて御聖断を仰ぎたい旨を申し上げた。

 昭和天皇は内閣国務各大臣の輔弼に依り大権を行使する立憲君主であったから、鈴木総理大臣の助言を受け容れ、御自身の御考えを述べられた上でポツダム宣言およびバーンズ回答の受諾を表明された(終戦工作の記録下488~489頁)。

 しかし昭和天皇の御聖断が我が国の国家意思として確定するには、昭和天皇が臣民に我が国がポツダム宣言を受諾し連合国に有条件降伏することを告げる所謂「終戦の詔書」に鈴木内閣閣僚全員の副署(同意のサインつまり承認)が必要であった(大日本帝國憲法第五十五條および内閣官制第五條)。続きを読む
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2015年03月23日

環境権・緊急事態・財政均衡主義・改憲要件緩和-安倍自民党の憲法改正構想は亡国のショックドクトリンに道を開く

 筆者は「環境権と憲法改正 憲法義解第二十条解説改正案」の中で次のように書いた。

 安倍首相は憲法改正の実現に情熱を燃やしているようだが、果たして現在の自民党議員の中に、自民党の新憲法草案各条項の由来と立法趣旨を日本国の歴史から説き明かす「新憲法義解」を執筆し公刊できるだけの碩学がいるのだろうか?

 安倍首相および自民党各議員が、伊藤博文と井上毅の共著「憲法義解」より優れた新憲法義解を執筆する器量と見識を持ち合わせていないのに、拙速に憲法改正を目指しているのならば、それは亡国の憲法改悪になるだけであろう。


 残念ながら筆者の危惧は現実化しつつある。続きを読む
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2015年03月01日

憲法改正詐欺に御用心!占領軍憲法第9条より恐ろしい財政均衡主義の憲法条項化

 GHQがマッカーサー占領軍憲法(日本国憲法)第9条の「芦田均修正」を容認する代償として日本国憲法第66条2項に挿入した「国務大臣の文民限定」は、「芦田均修正」ともども帝國憲法第73條違反であるばかりか、無知と錯誤の産物である。

 日本国憲法第66条2項がGHQの無知と錯誤の産物である理由は次の3つである。

・軍部大臣現役武官制度の弊害を除去するには、軍部大臣の官制を1891年~1900年の軍部大臣武官文民制度に戻せば良かった。

・内閣官制第9条「各省大臣故障アルトキハ他ノ大臣臨時摂任シ又ハ命ヲ承ケ其ノ事務ヲ管理スヘシ」により、帝國憲法下の内閣総理大臣は臨時に軍部大臣を兼任でき、そもそも軍部大臣現役武官制度は内閣の生殺与奪権を軍部に与えなかった(半藤一利の虚構史観を斬る!昭和十年代の陸軍と政治―軍部大臣現役武官制の虚像と実像)。

・支那事変の拡大長期化は軍部の暴走ではなく、近衛文麿という文民首相の暴走であった(ひと目でわかる日中戦争が拡大長期化した原因と元凶-近衛文麿と尾崎秀実の国家犯罪)。

 それなのに国務大臣の就任資格を文民に限定する日本国憲法第66条2項は全く不合理である。同条項が日本国憲法にない場合、国会議員である内閣総理大臣は自衛隊の現役将官を防衛大臣に任命し、これを罷免することができる(日本国憲法第67条、第68条)。したがって自衛隊のシビリアンコントロール(軍人に対する政治家の優位、政治家の軍事支配)に日本国憲法第66条2項は全く不必要である。

 国務大臣が文民に限定される必要はなく、また国務大臣の過半数が国会議員である必要もない。内閣総理大臣が国会の内外から国務大臣に相応しい能力を持つ日本国民を起用した結果、自衛隊の現役将官が防衛大臣その他の国務大臣に就任しようが、国務大臣の過半数が非国会議員になろうが全く問題ない。彼等が何か問題を起して国政に悪い影響を及ぼしたならば、内閣総理大臣は直ちに彼等を罷免できるからである。

 さらに内閣総理大臣が国会議員である必要すらない。国会は国会の議決をもって国会の内外から宰相の器量を持つ日本国民を選んで内閣総理大臣に指名し、これに基づいて天皇陛下が内閣総理大臣を任命されればよいのである。
 国会が法律承認権と予算承認権を持つ限り、国会に指名された皇族や自衛隊現役将官が内閣総理大臣に就任しても、我が国の立憲議会制デモクラシーは全く揺るがない(現代日本に甦る美濃部達吉の遺言-立憲議院内閣制の理想型)。

 それなのに、産経新聞社の「国民の憲法」起草委員会第10回会合では、文民の定義について大原康男(国学院大学教授)が「(憲法上)『現に軍人ではない人物』と表現すべきだ」と提案したという。

 今なお産経の「国民の憲法」起草委員会は「国務大臣の文民限定」に固執しているのであれば、彼等には全く呆れ果てる以外にない。「国務大臣の文民限定」は適材適所を妨げ、憲法の運用を硬直化させるのみである。

 憲法は国家の最重要規範であるがゆえに国家の最高法規であるから憲法改定要件は軟性であってはならない。憲法改正は国家の一大事であるから、憲法改定は頻繁であってはならない。改定要件が軟性で改定が頻繁であればあるほど、憲法改悪が生じ国体を破壊し皇室と国民を含む国家に厄災をもたらす危険性を高めてしまう。

 したがって我が国は、憲法の改定要件が超硬性であることと憲法の運用が柔軟になることを見事に止揚した大日本帝國憲法原案の起草原則のうち少なくとも以下の第三原則を受け継ぐべきなのである。

第三、欧米各国の憲法は多くは帝王の圧制を検束し、又は人民の権利を保護する為に制定せられたものであるから、その条項は頗(すこぶ)る多数にして、議員の資格権利、議事の方法等に至るまで詳細明記している。

 しかしながら我が憲法においてはこれ等の条項は憲法付随の法律、勅令に譲り、憲法には帝国政治の大綱目のみに止め、又その条文のごときも簡単明瞭を主とし、将来国運の発展に伴い、伸縮自在「フレキシビリティー」にして、しばしば憲法の改正を要せざるように起草せられた(金子堅太郎談)。


 自民党内の違憲有効界改憲派に属する邪な連中が企てている「財政均衡主義の憲法条項化」など言語道断である。これは、憲法の運用から伸縮自在の柔軟性(フレキシビリティ)を奪うだけでなく、現在日本の最高法規の地位を違法不当に占領している日本国憲法第9条より効果的に我が国の武力を封印する危険な構想である

 自衛戦争の遂行とは、政府が戦争終了まで財政均衡主義を放棄し、大規模な財政出動を行い戦勝を期すことだからである

 産経新聞社は占領軍憲法第9条の是非に焦点を当て、第9条の改正を力説している。有権者が、菅原裕の日本国憲法失効論に糾弾された産経新聞社の第9条改正論に酔い痴れ、諸悪の根源として占領軍憲法第9条を憎悪するあまり、第9条の改正が日本国を再興すると信じ込むと、公選議院の弊害を体現する政党の憲法改正詐欺に引っ掛かり、またまた後悔するのである。
 
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2015年02月28日

我が日本国は東京裁判史観を受諾していない-サンフランシスコ講和条約第11条の正当なる解釈

 以下のサンフランシスコ講和(平和)条約第11条の邦訳は誤訳である。

 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の判決(英語ではthe judgements、スペイン語ではlas sentencias )を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。

 極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。」

 英語のjudgementは、法律用語として用いられる場合、日本語の「判決」を意味する。スペイン語のsentenciaは、判決または宣告された刑を意味し、「裁判」という意味を含まない。しかし外務省の邦訳文では、判決(the judgements)が裁判(trial)と誤訳されている。

 大原康男教授が、当時の外務省条約局課長であった藤崎万里氏に取材したところ、藤崎氏から「昔のことなので、なぜジャッジメントつまり判決の受諾が裁判の受諾になったか、自分も覚えていない」と言われたという(1)。

 支那事変の勃発後、朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実ら昭和研究会に参集していたソ連系の共産主義者によって実行された作為戦争謀略活動には、外務省から牛場信彦が参加していた(2) 。

 昭和13年(1938)7月26日、宇垣一成外相がイギリスに対支援助の中止と日支和平の仲介を要請するためにイギリス駐日大使クレーギーとの会談を開始したところ、牛場や甲斐文比古ら外務省少壮革新事務官8人が宇垣外相を訪問し、「今日、漢口攻略を目前に控え、帝国外交も、蒋介石政権の壊滅、防共枢軸の強化及び在華英、仏、ソの政治的勢力の排除のため断然たる措置に出すべき秋と思考するところ、最近の大臣関係大使との御交渉ぶりは、吾等の最も憂うところなりとす」と述べて、クレーギーとの会談の中止を迫り、独伊との関係強化を主張したが、宇垣外相に軽くあしらわれた(3)。ゾルゲ機関の諜報謀略網は外務省内部にも浸透していたことは疑いを容れない。

 昭和29年(1954)8月、警視庁は、アメリカに亡命中の元在日ソ連代表部書記官ユーリー・ラストボロフの供述に基づき、反共の闘士を演じていた外務省職員兼内閣調査室員の日暮信則のほか通産省、外務省職員2人を国家公務員法違反で逮捕し、日暮は東京地検4階で取調べ中に窓から投身自殺した。

 GHQによって治安・防諜能力を喪失させられた占領期の日本では、約8000人以上の日本人工作員がソ連に奉仕していたとも言われており、サンフランシスコ講和条約の発効前後、外務省には今日のチャイナスクール出身者の先輩に相当する革新官僚が蠢動していたであろうことは想像するに難くない。

 朝日新聞社や日教組ら日本の反日左翼勢力が反米主義者でありながらも戦時中のアメリカが抱懐していた特異な反日思想である所謂東京裁判史観を信奉する理由は、これがGHQ内部に潜入していたアメリカ共産主義者の階級闘争史観「日本の対内対外政策は犯罪的軍閥に依り支配せられ且つ指導せられたり。斯かる政策は重大なる世界的紛争および侵略戦争の原因たると共に平和愛好諸国民の利益並びに日本国民自身の利益の大なる毀損の原因をなせり」を含んでいるからである(4)。

 もしかすると外務省の革新官僚が連中と共謀し、日本国は国際社会に復帰する条件として東京裁判および東京裁判史観を合法な正当裁判および唯一絶対の真実として受け入れた、と日本国民および国民の代表である政治家に錯覚させ、反日左翼勢力が繰り広げている各種の反日運動に国際法上の根拠を与えようとして、悪質な誤訳を講和条約11条の邦訳文に挿入したのではないか、と勘ぐりたくなる。

 誤訳の背景に関する以上の考察は推測の域を出ないが、筆者が確信をもって断言できることは、この講和条約第11条は単なるアムネスティ(国際法上の大赦)の対日不適用条項に過ぎず、「南京事件の法的意味ですが、日本政府はサンフランシスコ講和条約で、東京裁判判決を受諾し、サインをしています。つまり、東京裁判の結論に政府として文句はいいませんという言質を取られているのです。日本政府の公式な立場としては、南京虐殺事件は、数の問題はべつとして、たしかに存在した、と確認しているわけです」という秦郁彦の主張は全くの見当違いであるということである。

(1)【大東亜戦争の総括】380p
(2)三田村武夫【大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義】263p
(3)額田坦【秘録宇垣一成】186p
(4)小堀桂一郎編【東京裁判日本の弁明】16~19p「東京裁判検事起訴状」

<国際法上の大赦の意義>

 国際法上の大赦とは、講和条約の法的効果の一つであり、「戦争中に一方の交戦国の側に立って交戦法規違反行為を犯した全ての者に、他方の交戦国が責任の免除を認める」効果を持つ。つまり講和条約の締結と発効は、国際法上の交戦状態を終了させるだけでなく、同時に戦時中の交戦国の軍事行動である軍事裁判の判決をも失効させ、すべての戦争犯罪人を免責するのである。

 国際法史上有名なアムネスティ条項は、30年戦争を終結させた1648年のウェストファリア平和条約第2条である。そこには、戦乱が始まって以来、言葉、記述、暴虐、暴行、敵対行動、毀損、失費のかたちで行われたすべてのものにつき、「交戦諸国相互間で、永久の忘却、大赦ないし免罪があるべきものとする」と規定されている。

 このように、全てを水に流す「全面的忘却」の精神に基づくアムネスティ条項は、戦争によって煽動された国家間の憎悪を鎮め平和を回復するために必要とされ、17世紀から19世紀中に締結された数多くの講和条約の中に盛り込まれ、1918年3月3日のドイツ-ソ連条約の23~27条や、同年5月7日のドイツルーマニア条約の31~33条も一般的アムネスティ条項を構成している。

 以上の諸国家の慣行に基づき、第二次世界大戦前には、アムネスティ条項が講和条約中に設置されなくても、講和条約の発効それ自体がアムネスティ効果を持つということが、国際条約(明示の合意)と共に国際法を構成する国際慣習法(黙示の合意)-国際社会に生まれた慣習にして、複数の文明諸国家によって、彼らの正しいとの信念の下に繰り返し行われ、遵守すべき規範(ルール)として確信されるに至った慣習-として確立したのである(1)。

 従って本来ならば、昭和27年(1952)4月28日サンフランシスコ講和条約が発効した時点で、日本政府は所謂A級戦犯を裁いた東京裁判およびアジア太平洋地域の各地で開廷されたBC級戦犯裁判の判決の失効を宣言し、日本国内で服役している日本人戦犯を直ちに釈放し、且つ、外国で拘禁されている日本人戦犯の即時釈放を連合国に要求する国際法上の権利を有し、連合国はこれを承認する義務を有していたのである。

 しかしサンフランシスコ講和条約第11条はこの権利を日本に認めず、逆に我が国に対して、講和条約の発効後も、連合国が赦免するまで、日本国内で拘禁されている日本人戦犯に対する刑の執行の継続を義務づけたのである。その結果として講和条約が発効し、日本が独立を回復した後においても、巣鴨、モンテンルパ(フィリピン)、マヌス島(オーストラリア)で継続して1224名もの日本人および戦時中日本国籍を有していた朝鮮人および台湾人が戦犯として拘禁されたのである。

 要するに、サンフランシスコ講和条約第11条とは、日本政府による日本人戦犯に対する刑の執行の停止を阻止することを狙ったものに過ぎず、しかも、とうの昔に日本政府によって完全履行され、最後のBC級戦犯18名が関係各国の同意を得て出所を許された昭和33年(1958)5月30日に臨終を迎えた条項なのである(1)。

 イギリスの国際法家オッペンハイムが述べているように、戦勝国が講和条約中に戦敗国に対するアムネスティの不適用条項を設置することを禁止する規定は国際法に存在しない(2)。しかし戦時中に日本軍将兵および日本の戦争指導者を裁いた連合軍の軍事裁判は基本的に無法な復讐リンチ裁判であり、それらが下した有罪判決自体が著しく不公正であり、ほとんど冤罪であった以上、サンフランシスコ講和条約第11条は、連合国特にこの条項の起草と挿入を主導したアメリカとイギリスの執拗かつ陰湿な対日報復の延長であったと言わざるを得ないのである。

 実際、連合国内部では、この条項に対する反対論が噴出しており、1951年9月のサンフランシスコ講和会議では、駐米メキシコ大使ラファエル・コリナがメキシコを代表して、

「われわれは、できることなら、本条項が連合国の戦争犯罪裁判の結果を正当化しつづけることを避けたかった。あの裁判の結果は、法の諸原則と必ずしも調和せず、特に法なければ罪なく、法なければ罰なしという近代文明の最も重要な原則、世界の全文明諸国の刑法典に採用されている原則と調和しないと、われわれは信じる。」

と東京裁判を批判し、駐米アルゼンチン大使イポリト・ヘスス・パスも、

「この文書の条文は、大体において受諾し得るものではありますが、2、3の点に関し、わが代表団がいかなる解釈をもって調印するかという点、及びこの事が議事録に記載される事を要求する旨を明確に述べたいのであります。本条約第11条に述べられた法廷東京裁判に関しては、わが国の憲法は、何人といえども正当な法律上の手続きを踏まずに処罰されない事を規定しています。」

と語り、「正当な法手続きを踏まずに日本人指導者を処罰した東京裁判は、アルゼンチン憲法の精神に反している」として、東京裁判を間接的に批判したのである(1)。

 アルゼンチンは、カルボードラゴ主義を唱えてアメリカを動かし、1907年の第二回ハーグ平和会議において「契約上の債務回収のための武力行使を制限する条約」を実現させた。

 カルボーはアルゼンチンを代表する著名な国際法家で、ドラゴは同国の外務長官としてカルボーの学説を基に、1902年12月英独伊三国がベネズエラに武力を背景に債務不履行に関する賠償を請求したことに対して強硬な抗議を行った人物であり、カルボードラゴ主義の内容は、「厳格なる国際法上の権利としては、債務の回収及び私的要求の貫徹のためにする債権者所属政府の武力干渉は許されるべきでない。

 欧州諸国はその相互関係の上には常にその法則を守るのに、独り新世界の諸国に対する関係においてこれに則さないのは理解しがたい。欧州資本家は、南米に投資するに当たり投資対象地の国情を熟知するが故に、利子を高め条件を荷重し、全てのリスクを考慮した上で投資を行うのである。従って債務国において一時の都合から契約上の義務が履行されないからといって、資本家の政府が直ちに背後に立ち、武力を以て債務国に臨むのは断じて公正ではない」というものであった(3)。

 アルゼンチンは、1920年の国際連盟総会において選択条項という折衷案を出し現在の国際司法裁判所制度の基礎を作ったブラジルと共に、20世紀前半における国際法研究の大国であった。だからこそ彼の国は講和条約第11条の不当性をよく理解できたのである。そして大日本帝国の遺風が未だ失われていなかった講和条約の発効直後の日本国もまたメキシコ、アルゼンチンに負けず劣らず第11条の不当性をよく認識していた。続きを読む
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2015年01月30日

違憲有効界改憲派の厚顔無恥に御用心!真正の法力(憲法の非常事態対処能力)再生方策

 大日本帝國憲法には、軍隊に関する規定すなわち第十一條(統帥大権)、第十二條(編成大権)、第二十條(兵役の義務)、第三十二條(軍人の権利制限)、第六十條(軍法会議など特別裁判所の管轄)の他に、以下の非常事態対処規定がある。

第八條(議会閉会時の緊急勅令)
第十四條(戒厳の布告)
第三十一條(天皇の非常大権)
第七十條(議会召集不可能時の財政上必要の処分)
第七十五條(摂政設置時の典憲改変の不可)

 第七十五條は、1907年ハーグ陸戦法規第四十三条やこれに準拠する1946年フランス憲法第九十四条「本土の全部もしくは一部が外国軍隊によって占領されている場合は、いかなる憲法改正手続きも、着手され、または遂行されることはできない」と同じ役割を果たす優れた規定である。

 帝國憲法第七十五條「憲法及皇室典範は摂政を置くの間之を変更することを得ず」の立法趣旨は、摂政が置かれる期間を國家の「変局時」と認識し、國家変局時の憲法及皇室典範の変更を禁じると同時に、憲法改正の発議が天皇の専権事項であること(帝國憲法勅語)を担保して、天皇以外の者が発議する憲法の改正を禁じているのである。

 これは帝國憲法各条項の立法趣旨すなわち正当解釈を詳述する憲法義解に読めば一目瞭然となる。

「恭て按ずるに、摂政を置くは國の変局にして其の常に非ざるなり。故に摂政は統治権を行うこと天皇に異ならずと雖、憲法及皇室典範の何等の変更も之を摂政の断定に任ぜざるは、國家及皇室に於ける根本条則の至重なること固より仮摂の位置の上に在り、而して天皇の外何人も改正の大事を行うこと能わざるなり。」(伊藤博文著憲法義解第七十五條解説)

 敵国軍隊が日本国本土を占領し敵国の戦略に沿い帝國憲法を改変することは、敵軍が天皇からその専権である憲法改正発議権を簒奪することを意味する。この期間は、天皇が病気その他の事故により憲法改正発議権を行使できない「摂政を置くの間」と同等以上の国の変局時である。かかる非常時に天皇以外の者(敵国軍隊であるGHQ)が帝國憲法を改変したことは第七十五條の二重違反にあたり、無効である。

 大日本帝國憲法には、非常時の危機から、皇室、国民、憲法、それらを包含する日本という国家の存立を護るための多重防範が既に備わっている。しかもそれは関東大震災と東京大空襲の際に無政府状態の発生を未然に防いだのである。

 明治天皇、伊藤博文、勝安芳(海舟)、榎本武揚をはじめ枢密院帝國憲法制定会議に参加した明治の偉人達は、それまでに幕末の動乱をくぐり抜け、約二百六十年続いた徳川幕府の終焉を見届け、戊辰戦争と西南戦争という本土決戦を経験した。

 彼等は世の無常を熟知しており、地方行政の麻痺、議会の召集不能、中央政府の崩壊、敵軍の占領といった非常事態の発生を想定し、それらに対処するための法力(憲法の非常事態対処能力)を帝國憲法に盛り込まざるを得なかった。

 東日本大震災の発生以後、保守風味の有効界改憲派は日本国憲法の欠陥として非常事態対処規定の不備をあげつらい、これを盛んに批判している。
 帝國憲法違反のGHQ製日本国憲法を有効な最高法規として罷り通らせている当事者の彼らが今さら日本国憲法の欠陥を批判するのは厚顔無恥の所業ではないか。

 さらに、もし違憲有効界改憲派の学者と政治家が日本国憲法の欠陥を批判しながら、帝國憲法第七十五條や1946年フランス憲法第九十四条と同じ立法趣旨を持つ非常事態対処規定を日本国憲法の改正案に盛り込まないとすれば、彼等は空想虚言癖を持つ無恥蒙昧な愚人である。

 彼等は、我が国が大東亜戦争に大敗北したことを省みず、またサンフランシスコ講和条約の発効から六十年が経過した今日においても我が国が日本国憲法という名のGHQ(占領軍)の桎梏に苦悶していることを省みることなく、今だに神州不滅思想を持つ愚人の群れである。

 ここでいう神州不滅思想とは、「我が国が再び戦争に敗れ、敵軍が再び我が国を軍事占領し敵国の都合の良い様に我が国の憲法を改変するという非常事態は、今後絶対に有り得ない、起こり得ない」と意識的あるいは無自覚に決め付ける思考である。

 改憲派が神州不滅思想をもって憲法の非常事態対処規定の再生を試みることは、2011年3月11日以後の東電と日本政府が巨大地震、巨大津波、原発のメルトダウン、メルトスルーの再発を想定することなく今後の防災体制を構築するに等しい愚行である。

 この愚行は、神州不滅思想を抱く者が想定しない非常事態が不幸にも発生し終了した後に、日本国民が敵軍による日本国憲法の改変の無効を宣言して正統憲法の復元(正統憲法の事後救済-詳細はこちら)を実現するための憲法上の法的根拠を、次世代の日本国民から剥奪する暴挙であり、我が国の未来に対して余りに無恥無謀無責任である。

 もし違憲有効界改憲派がそのことを恥じて神州不滅思想を捨て去り、日本国憲法の改正案に帝國憲法第七十五條や1946年フランス憲法第九十四条と同じ立法趣旨を持つ非常事態対処規定を盛り込み、この規定に違反する憲法改変の無効を宣言すれば、これは自動的に彼等の日本国憲法無効宣言となる。

 結局のところ日本国憲法無効・大日本帝國憲法復元改正(増補)こそ真正の法力(憲法の非常事態対処能力)再生なのである。

 大日本帝國憲法は枢密院帝國憲法制定会議に参集した明治の偉人達の叡智の結晶であり、日本国憲法の桎梏から我が国を解放する偉大な法力を持っている。

 枢密院帝國憲法制定会議が終局を迎えようとしていたとき、金子堅太郎は、顧問官の勝安芳が枢密院の審議中に帝國憲法原案に対して一言も意見を述べないことを不思議に思い、勝に沈黙の理由を質したところ、勝は次のように答えた。

「伊藤はかつて国会尚早を唱え、後ドイツに遊び教えを其の国の碩学に受けたから、必ずビスマルク一流の圧制的憲法を立案するに相違ないと想像して居たから、事前に之を匡救したいと思って数次意見も述べたが、さて愈々(いよいよ)配布された草案を見ると案に相違し、さらさらと読めて淀みがなく実に上々の出来栄え、批点の打ち所がないか或いは何処にか瑕瑾がありはせぬかと諸君の議論を聴くのを楽しみにして毎回出席して居るが、未だかつて一つも之を見出さぬから沈黙して居る次第だ」(林田亀太郎/明治大正政界側面史)

 日本国民は、占領憲法の正體-新無効論が詳述する13の無効理由を広め、日本国憲法無効・帝國憲法復元改正論を支持する西田昌司参議院議員を応援し、明治の偉人達の叡智を素直に相続すべきである。
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2015年01月23日

橋下徹は不要!日本国に適合する上院の構成

 帝國憲法草案第三十四條は、枢密院における第一審会議第三読会と第二審会議第二読会によって「貴族院は貴族院令の定むる所に依り皇族華族及勅任せられたる議員を以て組織す」と修正された。この修正案が明治天皇の御裁可を得て大日本帝國憲法第三十四條となった。

 枢密院帝國憲法制定会議の審議では、貴族院議員の資格選任特権等が法律ではなく勅令によって定められることの是非が争点となった。続きを読む
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現在の日本国に本当に必要な改革は公選議院の弊害を抑制する上院の再生

 我が国の国会が日本国憲法無効・大日本帝國憲法現存(有効)の確認決議を行う場合、その直後に、天皇陛下が、貴族院が無く帝國議会の召集が現状不可能であることに鑑み、帝國憲法第八條および第五十五條に基づき内閣の輔弼と副署(同意のサイン)に依り、法律と同位規範である緊急勅令を発し、マッカーサー占領軍憲法から有害無益な部分と帝國憲法と明確に矛盾する部分を削除したものを、五年程度の有効期間を持つ憲法臨時代用法として用いるための「憲法復元措置基本法」を制定する。

 そして我が國は、可及的速やかに枢密院官制や貴族院令(いずれも勅令)の復元ないし新定を行い、貴族院、枢密院、大審院など欠損している機関の復元ないし代行機関の設置の検討等に入るのだが、おそらく貴族院の復元再生は容易であろう。

 なぜなら天皇は、帝國憲法第四條および第三十四條に基づき内閣の輔弼に依り、山中伸弥教授をはじめとして、皇族華族ではない國の功労者と学識者を貴族院議員に勅任できるからである。

 帝國議会の召集が現状不可能であっても、すでに大日本帝國憲法にある優れた非常事態対処規定の活用が帝國憲法の復元措置を可能にする。続きを読む
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2015年01月21日

エドマンド・バークと自由の女神マリアンヌ-フランスに対する風刺歌

 フランス政府の二重基準は今に始まったことではない。しかしこの種の卑劣な行為は必ずギロチンブーメランとなって実行者に襲いかかる。フランス共和国のナショナルシンボルは、自由の女神マリアンヌなのだから、フランスを揶揄する下品な風刺画はいくらでも出来る。

 顔がフランス国旗の大男が「俺は自由だ、自由は俺の大好物だ!」と叫びながら自由の女神マリアンヌを凌辱する場面を描いた風刺画、マリアンヌによって引率され煽動される愚かなフランスの民衆がヴァンデ地方のカトリック教徒に続いて世界のイスラム教徒を蹂躙する場面を描いた風刺画、フランス革命の省察の著者エドマンド・バークがシャルリー・エブドとフランス政府に奉仕するマリアンヌを指差して「あれは自由の女神を騙るビッチだ!」と非難している場面を描いた風刺画。

 フランス政府はこれらの風刺画の執筆者と掲載紙を全面的に擁護しなければならなくなった。また世界中のイスラム教徒が以下の風刺歌を大合唱したら、表現の自由の尊重を標榜するフランス政府と世界各国のフランス国民はどのように反応するのだろうか。続きを読む
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2015年01月15日

大本営の奥の院の所在と正体に触れなかった堀栄三の大本営参謀の情報戦記

 大本営陸軍部の情報参謀を務めた堀栄三(1913~1995)は、諸種の公開情報を収集分析してアメリカ軍の動向を事前に察知し、マッカーサー参謀という異名を取った。しかし堀栄三の情報先知能力(インフォーメーション&インテリジェンス)は戦史研究に活かされなかった。

 陸大試験の再審に向けて勉強していた堀栄三大尉は、父親から「一度土肥原に会って話を聞いてこないか」と勧められ、昭和十五年(1940)晩秋のある日、軍事参議官兼陸軍士官学校長の土肥原賢二中将宅を訪問し、戦術の勉強方法について土肥原中将に教えを乞うた。土肥原は堀は次のように教えた。

「いまこの場面で、相手に勝つには何をするのか一番大事かを考えるのが戦術だ。要するに駒と盤が違うだけで世の中の誰もがやっていることだ。

 そのためには枝葉末節にとらわれないで、本質を見ることだ。文字の形や奥の方には本当の哲理のようなものがある、表層の文字や形を覚えないで、その奥にある深層の本質を見ることだ。

 世の中には似たようなものがあるが、みんなどこかが違うのだ。形だけ見ていると、これがみんな同じに見えてしまう。それだけ覚えていたら大丈夫、ものを考える力ができる。」(大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇21ページ)


 これが堀栄三には一生忘れられない言葉になったという。

 土肥原賢二中将は昭和十四年六月号中央公論に「新時代を戦う日本」と題する論文を発表し、朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実らと一緒に「東亜共同体論」を提唱していた。

 三田村武夫は、大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義(1950年初版発行、1987年復刊)の中で、

「この論文は原点のまま要点を抜粋したが、その用語と構想は、蝋山、三木、平、尾崎等とそっくりそのままのところがあり、どこからか借りて来たような文章であるが、当時参謀本部にいた土肥原賢二中将が公然と署名して、中央公論誌上に載せたことは注目すべき価値がある。即ち軍閥とその幕僚の背後に何があったかを物語る有力な証拠ともいえるであろう。読者はこころみに資料編によって他の論文と対照してほしい。」

と読者に要望している。「軍閥とその幕僚の背後に何があったかを物語る有力な証拠」は他にもある。続きを読む
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2015年01月11日

政教分離を気にしない戦後世代を育てた厚生省推薦の仏教アニメ

 かつて厚生省はテレビ朝日と結託し、ある特定宗教の布教活動を熱心に行っていた。特定宗教とは仏教の禅宗である。厚生省はテレビ放送を通じてテレビの前の数百万どころか数千万単位の親子に仏教アニメの視聴を推薦していた。

 この仏教アニメは間違いなく仏教に関心を持つ国民、禅宗に好意を抱く国民を爆発的に増やした。この仏教アニメの主人公は、日本国憲法を僭称するマッカーサー占領軍憲法に違法占領されている戦後の日本国において、仏教各宗派の開祖以外では、最も有名な日本人宗教家であろう。

 この仏教アニメを見て育った日本国民の中で、我が国の中世に実在したこの日本人宗教家を嫌悪する人は絶無ではないだろうか。

 というのも、この仏教アニメのオープニング曲が極めて効果的に児童を洗脳する歌だからである。かくいう筆者自身が今だにこの仏教アニメの洗脳歌を諳んじていて、おそらく死ぬまでこの洗脳歌と仏教アニメの主人公を忘れられないだろう。

 しかし筆者は信教の自由を全く喪失していない。厚生省は政教分離少なくとも政教完全分離を無視したものの、いかなる意味においても、国民の思想信条の自由を侵害していないのである。続きを読む
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2015年01月07日

日本を愛したスタイン博士の遺言

 明治22年(1889年)7月21日、金子堅太郎は英訳の「憲法義解」数十部を携えて日本を出発し、欧米各国に向かった。金子は伊藤博文から、欧米の政治家および憲法学者に英訳の憲法義解を贈与し、彼らの忌憚なき意見を徴して帰國せよ、と命じられていた。

 金子はオーストリアを訪問した際に、伊藤の恩師である歴史法学の泰斗スタイン博士を訪問した。病魔に冒されていたスタインは医師の命令により来客を謝絶していたが、金子がスタインの愛する日本國の賓客にして憲法施行準備のためにオーストリアに来たことを聞き、医師の命令に背いて、金子と面談し、日本國のために助言した。続きを読む
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2015年01月05日

アダム・スミス以上の超一流の社会思想家-福沢諭吉の日本皇室論と大日本帝國憲法

 イギリスケンブリッジ大学が世界に誇る碩学で、歴史と社会科学に精通した歴史人類学者アラン・マクファーレン教授は、福沢諭吉をフランスのモンテスキュー(法の社会の精神の著者)やスコットランドのアダム・スミス(国富論の著者)以上の超一流の社会思想家である、と高く評価している。

 福沢は日本の伝統精神を受け継いだ上で、近代化の推進に必要な思想を欧米から摂取したが、欧米に対する批判精神を失わなかったからこそ、日本独自の近代化を指導することができたと指摘する。

 マクファーレンは驚くほど日本の歴史に詳しい学者といっても過言ではない。膨大な資料を駆使して、江戸時代の日本庶民の日常生活までも詳細に描く出すことのできる博識である。歴史人類学者だから、論究の対象はもちろん日本に限らないが、彼の独創的な日英比較論は出色である。

 福沢諭吉は近代欧米における科学技術や政治制度や市場経済を高く評価する一方で、拝金主義や人種差別や帝国主義に批判的だった。そして、その批判の視点は、日本の伝統的な武士道の倫理に基いていた。この点もまた、マクファーレンは正確に把握し、福沢諭吉を褒めちぎっている。

 多くの日本人とりわけ日本人の学者が戦後の浅薄な思想に幻惑されて、福沢諭吉の実像を掴み損ね、正確な評価を歪めていることは、無念さを通り越して滑稽というほかない。なぜそれほどまでに歴史の真実を歪め、自国の偉人を否定したがるのだろうか(福沢諭吉の日本皇室論-現代語訳67ページ解説と梗概Ⅰ「帝室論」について)。 

 筆者が思うに、その理由は明白である。GHQによる公職追放の後、学会の要職を占めた学者とその弟子たちの中には、戦後生まれの日本人に支那と朝鮮に対する贖罪感を扶植して、河野洋平のような反日売国政治家を養成し、日本国を支那と朝鮮に従属させようとする者、戦後生まれの日本人から尊皇護国の精神を奪い去り、皇室の廃絶を画策する者がすこぶる多いからである。

 しかし彼ら反日的日本人が束になっても一万円札の肖像になっている明治の偉人には敵わない。支那と朝鮮の本質を看破する福沢の脱亜論と、皇室の偉大な存在意義を平易に解説する福沢の帝室論と尊王論は、支那と朝鮮に魂を奪われた学者や心が汚いアカに塗れている学者の目論見を木っ端微塵に打ち砕くのである。

 日本の帝室(皇室)は栄誉の源泉として国民の功名心を刺激して学問技芸を振興する偉大な威力を持つが故に、日本国民は帝室が栄誉の源泉たることを損ねてはいけない、すなわち帝室を決して汚してはいけない。したがって帝室は神聖不可侵(無答責の地位)でなければならず、独立(自治)してないければならないのである。続きを読む
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2015年01月04日

生活保護費の受給者に公益に奉仕する勤労義務を課すべし-働かざるものは食うべからず(レーニン)

 日本共産党をはじめ左翼勢力は、違法不当に最高法規として罷り通っている日本国憲法(マッカーサー占領軍憲法)第25条「すべて国民は、健康的で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を単なる自由権(国民が国家権力から介入干渉されない権利)から社会権(国民が国家権力に介入干渉される権利)に拡大解釈し、ワーキングプアに陥っている労働者が羨むほどの潤沢な生活保護費を正当化する。

 日頃から国家権力を敵視している市民派あるいは人権派の彼等が社会権の保障を声高に主張するのは滑稽であるが、それは同時に本当の弱者には極めて傍迷惑である。

 「働かざるものは食うべからず」といったレーニンを崇拝する日本共産党に、生活保護費の受給者を擁護する資格はない。続きを読む
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2015年01月03日

エドマンド・バークのブリストル演説と大日本帝國憲法第三十五條解説

 伊藤博文ら大日本帝國憲法原案起草者が枢密院帝國憲法制定会議に提出した原案第三十五條注解には、以下のような解説文が載っている。

「衆議院の議員は総て皆、國の代議士たり。而して衆議院選挙の法に選挙区を設くるは、代議士の選挙をして全國に普通ならしめんとする目的に外ならず。故に代議士は即ち國の人民を代表する者なり。而して其の所属選挙区の人民の為に一地方の委任使となり其の依嘱を代行する者には非ざるなり。」

 憲法義解大日本帝國憲法第三十五條解説にも同様の解説文が載っている。この解説文の出典は、伊藤博文が好んで引用したエドマンド・バーク(1729~1797)の「ブリストル演説」のようである。続きを読む
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2015年01月02日

伊藤博文演説集-大日本帝國憲法とフェデラリスト

 筆者は、国民のための大東亜戦争正統抄史1928-56の95、戦後民主主義の本質の中で、大日本帝國憲法制定史の秘話について以下のように書いた。

 明治天皇の詔命を奉じ、金子堅太郎、井上毅、伊東巳代治を統率して帝国憲法原案を起草した伊藤博文の愛読書は、明治三年に政況および財政調査のためにアメリカを訪問した伊藤に、当時のアメリカ国務長官ハミルトン・フィッシュが贈与したアメリカ合衆国憲法のコメンタリー(解釈書)「ザ・フェデラリスト」(一七八七年刊行)であった。伊藤博文は明治三年以来、このアメリカの古典的名著に依拠して憲法を研究し、彼ら四人が帝国憲法原案を起草していた時はもとより、明治二十一年から始まった枢密院帝国憲法制定会議の際にも、伊藤はフェデラリストを常に自分の座右に置いて何か問題が生じる度にこれを繰り返し読み、帝国憲法の制定に尽力したのであった。

 帝国憲法の精緻な権力均衡分立主義と、デモクラシー(大衆参加政治)の暴走と諸悪から皇室と一般国民を含む国家を救済する帝国議会二院制は、アメリカの立憲議会制デモクラシーの起源であるフェデラリストの著者たち即ちアメリカ合衆国憲法の制定に尽力したアレクサンダー・ハミルントン、ジョン・ジェイ、ジェイムズ・マディソンの思想を受け継いだものである云々。


 以上の記述は「憲法制定と欧米人の評論」(金子堅太郎著/日本青年館、一九三八年版)に依拠しているのだが、帝國憲法の施行から約半世紀後に金子が発表した回想録は、果たして本当に真実なのだろうか。

 これについて筆者は一抹の不安と不信感を覚え、伊藤博文演説集 (講談社学術文庫)を読んでみたところ、金子の回想録を裏付ける第一次史料の実在を確認することができた。続きを読む
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2014年12月10日

今こそ法の支配を尊重する平和主義を実現する秋-大日本帝國憲法義解第七十七條解説案

 平和(戦争無き状態)は実に多様である。平和には、日本国が天皇陛下を国家元首として戴く立憲君主制自由主義的議会制デモクラシー国として独立し健在している平和があれば、日本国がチベットと同様に独立を喪失し中華人民共和国の一省になっている平和(いわゆる奴隷の平和)もあり得る。

 当然ながら平和主義も多様であり、法の支配を尊重する平和主義があれば、GHQの戦争犯罪の産物(1907年ハーグ陸戦法規違反およびポツダム宣言違反にして帝國憲法違反のGHQ製日本国憲法)に服従し法の支配を放棄する平和主義もある。

 歴史法学徒の一人である筆者はもちろん前者の、法の支配を尊重する立憲平和主義者であるが故に(詳細は韓国人を震え上がらせるための日本憲法学の密教-現憲法無効論・憲法恢弘の法理)、日本国憲法無効確認・大日本帝國憲法復元論に賛同し、我が国が帝國憲法に増補すべき「法の支配を尊重する平和主義條項」を提示するのである。続きを読む
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2014年12月09日

現代日本に甦る美濃部達吉の遺言-立憲議院内閣制の理想型

 伊藤博文ら大日本帝國憲法原案起草者は、憲法の改悪に伴う国体の毀損を未然に防止するために、憲法には帝國政治の大綱のみを明示し、それ以外の細目は憲法に付随する法律と勅令に譲り、我が国が法律と勅令を変更することにより憲法の改正を待つことなく国運の発展と時代の変化に即応するための伸縮自在の運用性(フレキシビリティ)を帝國憲法に持たせ、できるだけ憲法改正が不必要になるように努めた。

 だから帝國憲法は内閣総理大臣を含めた國務大臣の就任資格を明示していない。そこで帝國憲法の施行後、明治維新の元勲から成る元老会議が帝國議会の内外から内閣総理大臣候補を選定して天皇に奏薦し、最後の元老である西園寺公望の晩年すなわち昭和十二年六月の第一次近衛内閣の発足時からは、常侍輔弼の内大臣と内閣総理大臣の経験者らから成る重臣会議が奏薦の任に当った(山崎丹照著/内閣制度の研究297~326ページ内閣の首班奏薦の方式)。

 この慣行は憲法違反ではないとはいうものの、帝國憲法に規定されていない組織の元老会議と重臣会議が内閣総理大臣候補の奏薦を行っていたことは、やはり立憲政治において好ましくなかった。

 また朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実の同志であった近衛文麿は、我が国の立憲自由主義的議会制デモクラシーを破壊しながら支那事変を拡大長期化させ我が国を対米英戦争へ追いやった日本憲政史上最凶の総理大臣であった(近衛文麿の戦争責任)にもかかわらず、第三次近衛内閣の総辞職後も重臣の一人として新しい内閣総理大臣の選定と奏薦に関与し続けた。これが我が国の針路を誤らせた。

 これは、あたかも憲政史上最低の内閣総理大臣となったルーピーこと鳩山由紀夫が鳩山内閣の退陣後も延々と政界の重鎮として新総理大臣の選定に大きな影響力を及ぼし続けることに等しい、我が国の大失態であった。

 しかし我が国がこの政治的な大失態の再発を防止するためには、帝國憲法を改正して憲法に議院内閣制を明示する必要は無かった。立憲政治に好ましくない帝國憲法の運用を改めれば充分であった。すなわち重臣会議に代わり帝國議会衆貴両院が各々上奏権(帝國憲法第四十九條)を活用して内閣総理大臣候補を天皇に奏薦すれば良かったのである。続きを読む
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